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3.11取材報告:石のスープ

フリーランスのライターやジャーナリストがお届けする有料メールマガジン「石のスープ」。東日本大震災の取材報告を中心に、バラバラのフリーランサー達が集まって一つの媒体と作ると、どんな味に仕上がるでしょうか……

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渋井哲也【“一歩前”でも届かない】vol.8「気がつかないふりをしていた故郷の被災」 



石のスープ
定期号[2012年10月31日号/通巻No.54]

今号の執筆担当:渋井哲也




 今月から、戦場などを取材するジャーナリスト、村上和巳さんが参加してくれた。原稿にもあったが、10年来の付き合いだ。かつて、市民記者のニュースを中心に構成していた『オーマイニュース日本語版』で、私は週2日デスクをしていた。村上さんも、私がつなげたのだが、週1日デスクをしていた。その意味では同僚である。

 その村上さんの原稿で「出自」に触れた部分があった。出自について、どこまで考えているのか、どこまで影響があるのか、という意味では、村上さんの「出自」と震災の関連は興味深かった。その原稿に刺激されたこともあり、私も自らの「出自」について触れたいと思う。

*  *  *  *  *  *


■心理的な壁「白河の関」

 私は栃木県那須町に産まれた。
 村上さんの原稿で「白河以北」という言葉ある。福島県には白河の関所があるのだが、その白河の関所の北側が「河北」と呼ばれる。奥州への3つの関所の一つだ。今でも、現代の「白河の関所」と呼ばれる白河検問所がある。白河警察署が、犯罪の流入対策で設置している。白河を境にして、北は東北、南は関東となっているが、那須町は、白河の関から見て、最初の関東の町だ。
 俳人・松尾芭蕉は那須から白河を越えるとき、「白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず」と書いている。それだけ、当時の下野の国から奥州へ向かう旅は、感慨深いものがあった。今でこそ、高速道路や新幹線が整備され、那須から白河へ買い物に行く人もいて、日常的な経済交流はされているが、やはり、心理的には白河の関を越えるのは、東京から埼玉を越える感覚ではなく、別の文化圏に行くといったものだ。少なくとも、白河の関を意識しながら育った私にとってはそういう想いがある。

 那須町内のなかでも南部に育った私は、那須の町内でも北に行くことよりも、隣町の黒磯市(現在の那須塩原市)に行くことのほうが多かった。なにしろ、近所の橋を渡れば、黒磯市だ。学校も、通った小中学校よりも、黒磯市内の小中学校のほうが近かった。高校は黒磯高校に行くことになるが、出身小中学校よりも近く、通った学校の中で一番近かったのだ。そんな生活圏からすれば、白河というのは、私の背中にある、異国の地の扉だった。
 ただ、異国といっても、憧れの地としての異国ではない。まだ、全国の高校野球大会で東北のチームが優勝をしておらず、「優勝旗が白河の関を越えるのか?」が話題になったりする。しかし、単純に地理的な意味での「境界」を指すのでもない。村上さんも東北蔑視について書いていたが、私も東北を蔑視していたと思う。よく、栃木県は、「東北の玄関口」として扱われていたが、それを面白くないと感じていた。栃木県内でも、最北端の那須町は、県内評価でもやはり同じだった。

 「なぜ、那須町が東北の玄関口として扱われなければならないのだろうか。こっちは、関東であり、東北じゃないんだ」という意味不明な拒絶感があった。それは差別意識だったんだろう。そうした蔑視のムードは、東北に近いからこそ、感じることもできたと思う。もちろん、東北蔑視についての具体的な経験したわけではないが、今思えば、日常の言葉の扱いには東北蔑視が出ていたと思うことがたくさんある。

 仕事をするようになって、よく「青春18切符」を使って、各駅停車の一人旅をすることも多くなった。それで自覚したのは、上野から黒磯間というのは、黒磯から仙台間とほぼ同じ時間がかかるということだ。つまりは、上野から仙台の中間が黒磯駅なのだ。黒磯駅が実家の最寄り駅で徒歩15分の距離なのだ。生活圏は東京と仙台の中間だった。ただ、それが分かっても、黒磯から仙台は、上野よりも遠いといまだに感じている。

■「植物赤十字をつくりたい」と言っていた祖父が選んだ那須

 そもそも、私が那須に産まれたのは、第二次世界大戦との関連が強い。母方の祖父は都内の学校職員をしていた。日中戦争の頃、満州開拓の話が出る。祖父は生物に詳しく、開拓団のメンバーに誘われていた。同じ理由で、那須開拓の話も出ていた。満州か、那須か。その二択だったようだ。那須は明治期にも開拓されていたが、昭和20年代にも開拓事業があった。結果、祖父は那須を選んだ。
 祖父は私が産まれた頃亡くなった。そのため、私の記憶としては何もない。しかし、約20年間勤務していた都立戸山高校の「戸山高校新聞」(1957年9月16日号)の「先生列伝」に少しだけ載っているのを見つけた。それによると、「植物赤十字」を作りたい、との思いがあったようだ。「人間同士の戦いのために多くの植物が傷付く。植物は口が無いから何も言わないが苦しいにちがいない」と言っていたとか。よく母が「おじいちゃんは木のお医者さんになりたがっていた」と話していたが、それが「植物赤十字」のことだったのかと、この新聞を見つけたときに思ったものだ。

※この後の記事(小見出しのみ紹介)
■最初の被災地取材は栃木県
■被災地としての那須
■避難所としての那須
■廃棄物処理場としての那須
■野球からサッカーに転身するはずが……


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■渋井哲也のweb連載
「ジョルダンニュース」渋井哲也、被災地の「記憶」(第8回)
見えにくい被災者の生活問題

http://news.jorudan.co.jp/mb.cgi?action=2&id=JD1351214515321

渋井哲也が連載している「ジョルダンニュース」。10月26日に最新記事が配信されました。被災地の復興にとって重要な鍵となる「移転問題」を取り上げています。



■まだまだよろしくお願いします!
風化する光と影
〜“メディアから消えつつある震災”の中間報告

著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真
発行元:E-Lock P.
発売元:マイウェイ出版(MYWAY MOOK)
定 価:1000円
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渋井哲也、村上和巳、渡部真の3人が、これまで東日本大震災で未だに記事に出来なかった様々なルポを約35篇書き下ろしました!
まだ終わっていない震災のなかでの暮らし、それでも明日への歩みが進んでいる。あの時、誰もが見つめた現実を、もう一度、しっかりと受け止めるために、災害の検証、原発問題、生活のなかで起きている問題、学校で暮らす子ども達、未来に向けた復興について、などのテーマに分けて構成されています。
メルマガ仲間の三宅勝久、「ときどき登場」の寺家将太さん、ジャーナリストの長岡義幸さん、記者会見ゲリラの畠山理仁さん、ジャーナリストの粥川準二さんも、寄稿してくました。友人の編集者が、僕らが儲かりもしないのに取材を続けてきたことに支援してくれ、まさに赤字覚悟で頑張って発行してくれました。何とぞ宜しくお願いします。



渋井哲也 しぶい・てつや
1969年、栃木県生まれ。長野日報社記者を経てフリーライター。自殺やメンタルヘルスやネット・コミュニケーション等に関心がある。阪神淡路大震災以来の震災取材。著書に「自殺を防ぐためのいくつかの手がかり」(河出書房新社)など。
[Twitter] @shibutetu
[ブログ] てっちゃんの生きづらさオンライン



■発行元:「石のスープ」編集部

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  村上和巳(フリージャーナリスト)
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category: 渋井記事

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村上和巳【我、百文の一山なれど】vol.1「故郷を捨て、故郷に帰る〜はじめましてのご挨拶 後編」 



石のスープ
定期号[2012年10月28日号/通巻No.53]

今号の執筆担当:村上和巳



→故郷を捨て、故郷に帰る〈前編〉へ戻る←


 今月から「石のスープ」に参加した宮城県亘理町出身の村上和巳さん。
 自身の誕生から、戦災・紛争地域を取材するまでを辿った前編につづき、今号では、2011年3月以降のお話です。

*  *  *  *  *  *


■地元宮城県を襲った3.11

 2012年3月11日、私は徹夜明けで原稿を仕上げ、事務所にしていた築38年のアパートの部屋で昼ぐらいから仮眠していた。
 通常、睡眠中よはほどのことがない限り目を覚まさない。過去には海外で購入した少数民族伝統のナイフをベッドに放り投げ、それを忘れて眠りにつき、起床時に足が血だらけになっていたことに気付いたというほど鈍感だ。
 だが、あの時だけは違った。揺れはベットごと私の体を揺すった。Tシャツとトランクスのまま起き上がり、ベッドの端に腰掛けたものの、バランスが保てない。
 隣接するデスクがある部屋で「ドーン」と鈍い音も聞こえた。駆けつけるとプリンターが仕事机から落下していた。揺れの時間は長く、老朽化した木造アパート内では立っているのがやっとだった。

 揺れが収まるとテレビをつけた。宮城県沖が震源であることはその時点で知ったはずだが覚えていない。一番鮮烈な記憶はお台場のビル屋上の火災映像だった。
 午後3時近くという時間を知って、ハッとした。娘が下校し、学童クラブに向かっている時間だ。学童クラブに電話をしたが繋がらない。事務所から学童クラブまでは自転車で約10分。私は自転車に飛び乗った。

 途中の沿道では、あちこちで余震に怯えた人たちが表に集まっており、中には慌てて飛び出して閉め忘れたらしい個人宅の扉が余震でバタンバタンと揺れていた。
 学童クラブに到着すると、「おとうさーん」と手を振る娘の姿が目に入った。「わざわざ来ていただいてすみません」と言うクラブの指導員に通常通り午後6時に迎えに来る旨を伝えた。
 実は前述したフリーになりたての頃、私は宝島社より出版された日本国内の地震危険地帯を取り上げたムック「大地震で壊れる町、壊れない町」を丸一冊執筆していた。その関係で以後は大地震が起こると、週刊誌からコメントを求められることも少なくなかった。学童クラブにも娘にも異常はなかったので、この事態で発生する地震関連の仕事に備え、6時まで時間の余裕を作ろうとしたのだ。

 学童クラブ近くの自宅マンション内はモノ1つ落ちておらず、いつもと何も変わらなかった。ここで初めて妻の職場に電話をしたが、やはり繋がらない。
 自宅のテレビをつけると、東北地方太平洋沿岸が点滅している津波警報の地図が表示されていた。ここでようやく実家のことが頭に浮かぶが、父母双方の携帯も自宅も当然ながら不通だった。今度は板橋区に住む姉に電話をするもこちらダメ。
 そうこうしているうちに電話にいつの間にか着信履歴が表示される。旧知の週刊誌編集者だ。すぐに折り返すがこれも繋がらず。
 再び自宅を出ると、目の前を空車のタクシーが通り過ぎた。テレビでは都内のほとんどの電車が運休と報じていた。私は妻の携帯にメールを送信した。
「こちらではタクシーがまだ捕まる。それに乗ってこちらから迎えに行き、折り返せると思うので、必要ならば至急返信するよう」
 そんな内容だったと思う。妻からはこのメールが数時間後に届いたと後に聞かされた。

 このあとはたまたま私の夕食当番日だったこともあり、テレビもつけずに支度にとりかかった。合間に何度か実家と姉への連絡を試みたが、やはり不通。その後は妻が帰宅でき次第、なるべく早く姉の家に向かうべくシャワーを浴びた。
 6時に学童クラブに娘を迎えに行き、帰宅すると既に妻は戻っていた。地震直後に職場から帰宅指示があり、その時点で徒歩で自宅に向かったとのこと。実家のことを尋ねられるも連絡が取れないと話すしかなかった。

 家族全員が揃ったところでリビングのテレビをつけた。映る映像は、岩手、宮城沿岸に押し寄せる大津波、さらに東京電力・福島第一原発の全交流電源喪失というニュース。
 実家は海岸から約4km、福島第一原発から直線で約80km。さすがに津波に襲われることはないだろうが、尋常でない揺れと連絡不通が相まって、「両親のどちらかが死んでいてもおかしくないだろう」と覚悟した。板橋区の姉夫婦にもやはり電話はつながらない。急いで食事と後片付けを済ませ、私は自転車で約25分の姉夫婦のマンションに向かった。
 裏道を飛ばしていくが、どこもかしこも沿道は徒歩で家路を急ぐ帰宅難民で溢れんばかり。自転車も車道の真ん中を走らないと進めなかった。

 ようやくたどり着いた姉の家のインターホンを押すと、中から出てきた姉が「今、実家に電話がつながっている」という。慌てて室内に入り受話器を取ると母親の声がした。
「いやー、本当にすごかった。今回ばかりは死ぬかと思った」
 既に現地は停電・断水状態だという。もっと事細かに話を聞けば良かったかもしれないが、無事確認で一旦は満足してしまう。この分ならば明日以降、何回か電話をかければつながるだろうと考えたが甘かった。翌日から発災6日目まで実家の両親とは全く連絡が取れなくなってしまったのだ。しかも、この間、福島第一原発では1号機、3号機、4号機が相次いで水素爆発を起こしていた。

 発災6日目ようやくつながった電話で、両親に北上するか、山形を経由して日本海回りで東京に来るか、いずれかの方法で避難するように伝えた。
 だが、ガソリン不足でとても移動できないという。商店も営業しておらず、断水などは続いていたが、ガスがプロパンなので蓄えていた食料の調理は可能。近所同士で食べ物を融通し合っていることも教えてくれた。
 電話を切る直前、父が絞り出すような声で呟いた。
「今日で野菜もなくなるわ」
 両親にひもじい思いをさせ、何もできずじまいの40歳過ぎの自分が情けなかった。

■発災から2週間で向かった故郷

 発災以降、私は何をしていたのか?
 まず、津波と原発事故を受け、雑誌各社は現地からの報道とともに次はどこが危ないかという内容に軸足を置いていた。私はそうした記事の執筆やコメント取材を受けていた。

 一方で日常生活では予想もしない困難が起きていた。原発事故により都内で食品や日用品の買い占め現象が発生したからだ。
 この結果、スーパー1か所で夕食支度の買い物が済ませられず、5時半に退社して帰宅する妻では対応が不可能になった。炊事は連日、私の担当になり、午後2時には仕事を中断してスーパーをハシゴした。
 両親とは発災6日目以降、毎日連絡が取れるようになり、実家も光熱関係は改善されていることはわかったが、正常にはまだ程遠かった。親の様子もこの目で確認したいし、取材もしたい。
 ところがペーパードライバーで車も持っていない自分は現地に向えない。さらに足があったとしても、この時期は諸事情がそれを許さなかった。妻の仕事は毎年3月半ばから4月上旬までは残業続きの時期になる。とても私が家を空けられる状況ではない。
 毎日の家事負担、虚実入り混じる放射能情報、現地入りできない諸事情から、私は妻に春休みの間だけ、娘を東海地方にある妻の実家で預かってもらおうと提案してみた。そうすればほぼ全ての問題が解決する。ところが「こんな時こそ家族はバラバラになるべきではない」という義母の意見で提案は現実とはならなかった。私のフラストレーションは爆発寸前だった。

 発災から10日ほど経った頃だったろうか、突然妻が私に帰省してもいいと言い出した。間もなく娘は春休みに入り、朝から終日学童保育となる。給食はなくなり、毎日弁当持参になる。残業が続く妻にとっては1人で娘の面倒を見て、なおかつ弁当作りまでしなければならないことが、どれだけ大きな負担になるのかは容易に想像がついた。彼女はできないはずの譲歩をしているのだった。
 私は妻に何度も礼をいい、早速帰省の準備にとりかかった。まず、深夜バスチケットを予約し、仙台から亘理までの交通手段も調べた。仙台市南郊のJR東北本線・長町駅からバスが出ていることはわかった。
 両親には何か必要なものがないか尋ねた。母は「ソーセージやベーコンが食べたい」という。早速、手持ち可能な量のソーセージとベーコン、保冷剤を入手して梱包した。もちろんカメラも持った。こうして発災から2週間後、私は亘理町に向かった。

 東北自動車道を北上する深夜バスは、まさに白河を過ぎたあたりから震災による段差などで道路状況が悪くなり、車内はガタガタに揺れた。午前5時すぎ、仙台市の歓楽街・国分町近くに到着したバスから降りた私はとりあえず仙台駅方向に歩き始めた。3月の町はまだ薄暗かったが、それ以上に何かが異様だった。
 理由はすぐにわかった。現代生活に必要不可欠と化したコンビニがことごとく閉店し、その周辺で深夜や早朝に展開される限られた人通りすらも途絶え、車の往来もほとんどなく、生活音が消えていたのだ。ゴーストタウン化した政令指定都市なぞ想像もしていなかった。

 それでも私は歩くしかなかった。目指す長町駅までは、バスの降車地点から直線でも4km。亘理町への始発バスは3時間後だ。暗がりの仙台市中心部のアーケード街・中央通りに入った瞬間、目の前に横断幕が掲げられていた。
「私たちは負けない」
 これを見た瞬間、私はまだ被災現場も見ていないのに涙が止まらなくなった。いろいろな捉え方があるだろう。だが、私は「叫び」だと思った。未曾有の被災に巻き込まれた白河以北の。
 だが、ここで泣いている訳にいかないと言い聞かせ、袖口で目頭を拭いながら、歩き出した。長町駅への道すがらには、母校の中学校がある。懐かしいが人気のない、学区内の小道をひたすら南に進んだ。

 あるお寺の傍には、今は音信不通となった中学時代の親友宅があった。塀越しに覗いてみたが廃墟のような静けさ。状況が落ち着いたらまた訪ねてみようと考え、歩きだした。
 長町駅近くの広瀬川にかかる橋を渡って、そのまま前方に進もうとする視界の片隅に違和感を感じた。高架橋の駅も何もないところに新幹線の車両が静止していた。地震の揺れで緊急停止したのだろうが、乗客はこのあとどうしたのだろう。
 ようやく長町駅が見えると、さすがに極度の空腹を感じた。周囲に空いている店はない。自動販売機もほぼ全て「売切」の赤いランプが灯っているか、電源が入っていないかだ。持っていたタバコの箱も中はあと2本。

 長町駅前広場の片隅で繁華街方向を眺めていると、ある方向から割り箸の袋をのせた弁当らしきものを持って歩いている人が見えた。店内を3分の1ほどにパーテーションし、弁当3種類とペットボトルの緑茶1種類、わずかな日用雑貨を販売するセブンイレブンが営業していた。
 中華丼とお茶を手にしてレジに行くと、タバコの陳列ボックスに私が吸っているケント・ウルトラメンソール100Sだけが1箱残っていた。躊躇しながら指差すと、店員は特に表情も変えず、タバコをとってレジのバーコードリーダを当てた。恐る恐る私は尋ねた。
「あのー、Edy払いできますか?」
 ポイントマニアの私は、コンビニなどではEdy払いし、そこで得られる全日空のマイルを貯めている。
「ええ、大丈夫ですよ」
 被災地の機能不全状態のコンビニの店内におサイフケータイのEdyの「シャリーン」という精算音が鳴り響く。
 だが、ここはやはり被災地。レジ袋はなく、私は買ったもの全てを両手で抱えて店を出た。長町駅広場で中華丼を平らげ、お茶を一気飲みすると、バスが来るまでの間、ひたすらタバコを吸い続けた。

 亘理行のマイクロバスはほぼ満席だったが、狭い空間にひしめき合っているのに、乗客同士は不自然なほど会話を交わさない。
 国道4号線を中心に走るバスの車窓からはテレビでさんざん魅せられたあの津波被災らしい光景はない。バス路線の道路は海岸から5km以上は離れているのだから当然だろう。ただ、名取市内に入った時、路上にサラサラとした砂がうっすらとかぶっている様子だけが目に入った。
 故郷の亘理町と隣接する岩沼市との境界にある阿武隈川の橋を渡った時も河口方向を凝視したが、何もない。


※この後の記事(小見出しのみ紹介)
■半年前に見た光景とはまったく違う荒浜の漁港
■白河以北の一山としての意地

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■東電福島第一原発、取材レポ!
「週刊 アサヒ芸能」

発行元:徳間書店
定 価:390円
http://www.asagei.com/

渡部真が取材した、東京電力福島第一原発の取材レポートが、10月30日(火)に発売の「週刊 アサヒ芸能」に掲載されます。写真は同行した尾崎孝史さんが提供してくれました。よろしくお願いします。



■渋井哲也のweb連載
「ジョルダンニュース」渋井哲也、被災地の「記憶」(第8回)
見えにくい被災者の生活問題

発行元:徳間書店
定 価:390円
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渋井哲也が連載している「ジョルダンニュース」。10月26日に最新記事が配信されました。被災地の復興にとって重要な鍵となる「移転問題」を取り上げています。



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著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真
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渋井哲也、渡部真と、ジャーナリストの村上和巳さんの3人が、これまで東日本大震災で未だに記事に出来なかった様々なルポを約35篇書き下ろしました!
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メルマガ仲間の三宅勝久、「ときどき登場」の寺家将太さん、ジャーナリストの長岡義幸さん、記者会見ゲリラの畠山理仁さん、ジャーナリストの粥川準二さんも、寄稿してくました。友人の編集者が、僕らが儲かりもしないのに取材を続けてきたことに支援してくれ、まさに赤字覚悟で頑張って発行してくれました。何とぞ宜しくお願いします。



村上和巳 むらかみ・かずみ
1969年、宮城県生まれ。医療専門紙記者を経てフリージャーナリストに。イラク戦争などの現地取材を中心に国際紛争、安全保障問題を専門としているほか、医療・科学技術分野の取材・執筆も取り組む。著書に「化学兵器の全貌」(三修社)、「大地震で壊れる町、壊れない町」(宝島社)、「戦友が死体となる瞬間−戦場ジャーナリスト達が見た紛争地」(三修社/共著)など多数。
[Twitter] @JapanCenturion
[公式サイト] http://www.k-murakami.com/



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category: 村上記事

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村上和巳【我、百文の一山なれど】vol.1「故郷を捨て、故郷に帰る〜はじめましてのご挨拶 前編」 



石のスープ
定期号[2012年10月27日号/通巻No.52]

今号の執筆担当:村上和巳



 皆さん初めまして。今回、「石のスープ」のレギュラーメンバーとして執筆陣の一人に加わったフリージャーナリストの村上和巳と申します。今回、初参加ということで自己紹介をさせていただきます。
 
 そもそも今回私が新たに「石のスープ」に参加したのは、このメルマガが東日本大震災をメインテーマに据えることに起因しています。そこでなぜ私が東日本大震災を取材しているかを説明しなければなりませんが、私の場合、そのためには自分の出自にまで遡らねばならず、必然的にかなりの長文になります。多少読者の皆様を退屈させてしまうことは覚悟の上ですが、ここは少々辛抱していただき、最後までお付き合い願いたいと思っております。

■私の誕生を誰よりも喜んだ祖父

 私は昭和44年11月14日、宮城県亘理町の産院で生まれ、もうじき43歳。だが、そもそも私は生まれたことが奇跡の存在だった。母が妊娠初期に流産の危機に見舞われたからだ。当時は今ほど流産を阻止する治療法がないうえ産婦人科の主治医は母に対し次のように言い放ったという。

「人工的な流産阻止ができても、生まれてきた命はその後の生存競争で勝ち残れないだろう。だから、流産阻止の対応はしない。その代わり母体の体力増進のためのビタミン注射をする。それで生まれてきたならば幸運と思うように」

 一見すると優性思想にも思えるこの考えは、今ならば確実に問題視されるだろうが、当時の医師は「お医者様」と今以上に崇められた時代。これに加え特殊事情もあった。非情な方針を告げた産婦人科医は、私の父方の祖父だった。そして祖父の見立ては、出産には至らぬだろうと言うものだったらしい。
 私の母子手帳に記載された出生時体重はピッタリ「3000g」。もちろん実際には、そんなキリのいい数字ではなかった。正確には2000g台の後半だったとのこと。ところが体重計測中、細かいメモリを読むことが面倒になったらしい祖父が「おまけだ!」といって3000gになった。当時の祖父は70歳。長時間の出産に立ち会う産婦人科医としての体力を有する年齢ではなかった。実際、祖父は私を取り上げた日を最後に現役の産婦人科医を引退した。

 ただ、私が出生をことのほか喜んだのは、他ならぬ祖父だったとも聞いている。それは男孫だったからのようだ。いずれ詳しく触れることもあると思うが、父方は祖父で13代目の医師家系。当然、祖父には代を継いでいきたいという気持ちがあったのだろう。
 祖父の子供は4男3女で私の父は次男。当時、私の叔父である長男が医師を継いでいた。長男に息子が生まれれば、順当に代を継いで行ける。
 ちなみに古臭いと言われようが旧家ほど後継者は男系男子という風習がある。私が出生前に父方の男兄弟に息子は1人もおらず、祖父の喜びとは、これでとりあえず家名断絶はなくなると思ったものらしい。
 もっとも出生時、私の手首の太さは大人の親指ぐらいしかなく、口の悪い親戚の中には「お祝い前に葬式かもな」と言った人もいたらしい。しかし、周囲の予想に反し、それから40年以上、私は生存している。

 私が生まれた翌年、叔父である長男に待望の男の子が生まれたが、不幸にも彼は生後1週間で亡くなった。結局、祖父の孫13人中、成人を迎えたのは12人。
 父は母の村上家に婿入りして性は変わっていたが、祖父の家系で私はただ一人の男系男子だった。実際、高校3年の時、私は祖母から呼び出され。「おじいじちゃんがいずれお前に注射を打ってもらいたいと言っている」と告げられたこともあるが、私はそれに何も答えなかった。
 それから3年後、祖父はトイレの中で倒れ、病院に運び込まれ入院したが、そのまま回復することなくこの世を去った。父方では絶対的なカリスマだった祖父の病室には次々に孫が見舞いに訪れた。総勢11人。ただ、1人生前の祖父の枕元に間に合わなかったのはほかならぬ私だった。

■村上写真屋の息子は「風小僧」

 私が生まれた亘理町は宮城県南部の沿岸部に位置し、県庁所在地の仙台市までは電車で30分強の人口約3万3000人の町。町村レベルでは比較的人口は多い方だが(全国第45位)、私の小学校時代は3万人弱だった。
 江戸時代は仙台藩の亘理伊達家の所領。かつてNHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」で、俳優・三浦友和が政宗の腹心として活躍した猛将・伊達成実を演じたが、その成実が亘理伊達家の初代である。
 ちなみにドラマ内では、常に武断派として強硬策を唱える成実に対して「さにあらず」と異論を唱えていたのが、西郷輝彦扮する政宗の軍師的存在の知将・片倉景綱。前述した父方の祖父の先祖は代々、この片倉家に仕えてきた。

 さて亘理町についての私の端的な表現は、町村レベルでは商店街がやや大きめで、海も山もある風光明媚な場所となる。こう言えば聞こえはいいが、子供の頃の自分にとっては退屈な場所だった。
 幼い頃から本の虫だった自分にとって最大の苦痛が、自分の読書欲を満たす書店がなかったこと。読みたい本を手に入れるには、町の書店に注文していつ届くかわからないまま待つか、仙台まで電車に乗って買いに行くかだ。趣味だった切手収集の切手店も仙台にしかない。その不便さは耐え難きものだった。

 そして地方在住歴がある人ならばわかるが、人口3万人の町といえども互いに顔見知りは多く、悪く言えば「衆人環視」である。私の場合、実家が最寄りのJR常磐線・亘理駅前で写真屋をやっていたから、人よりも目立ちやすい。
 しかも、生来、わがままで変わり者で、かつ悪戯坊主。おむつが取れない歩き始めから、家を「脱走」することもしばしば。母はその度に店のシャッターを閉めて、私を探し回ったという。
 三輪車に乗れるようになると、私の行動半径は一気に広がり、徒歩で探索する母の手には負えなくなった。この時、母の強力な味方は隣にあるタクシー会社。無線を駆使して配車を担当していたタクシー会社の社長夫人は、母が駆け込むたびに無線を握ってこう叫んだという。
「隣の和巳、見ませんでしたか?どうぞ」
 5台ほどのタクシーが常に巡回している狭い町では、これをやられるとほぼ確実に捕捉された。結果、半開きにしたトランクに三輪車を詰められ、幼少の私はタクシーの助手席に堂々と「無賃乗車」して連れ帰られることになった。当時タクシーの運転手たちからつけられたあだ名が「風小僧」。もっともそんな風に言われるのはまだマシな方で、「村上写真屋の息子が……」と陰口を叩かれることもあった。

※この後の記事(小見出しのみ紹介)
■■白河以北一山百文
■■海外の一人旅を続け、メディアの世界に入る決心
■会社の仕事に忙殺される毎日が続き、フリージャーナリストへ転身
■イラク邦人人質事件のなかで起こった地元の誤解
■娘を連れて6年ぶりの帰省


→故郷を捨て、故郷に帰る〈後編〉へ進む←



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■東電福島第一原発、取材レポ!
「週刊 アサヒ芸能」

発行元:徳間書店
定 価:390円
http://www.asagei.com/

渡部真が取材した、東京電力福島第一原発の取材レポートが、10月30日(火)に発売の「週刊 アサヒ芸能」に掲載されます。写真は同行した尾崎孝史さんが提供してくれました。よろしくお願いします。



■渋井哲也のweb連載
「ジョルダンニュース」渋井哲也、被災地の「記憶」(第8回)
見えにくい被災者の生活問題

発行元:徳間書店
定 価:390円
http://news.jorudan.co.jp/mb.cgi?action=2&id=JD1351214515321

渋井哲也が連載している「ジョルダンニュース」。10月26日に最新記事が配信されました。被災地の復興にとって重要な鍵となる「移転問題」を取り上げています。



■まだまだよろしくお願いします!
風化する光と影
〜“メディアから消えつつある震災”の中間報告

著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真
発行元:E-Lock P.
発売元:マイウェイ出版(MYWAY MOOK)
定 価:1000円
アマゾンにジャプ→ http://t.co/Afp6g7qY

渋井哲也、渡部真と、ジャーナリストの村上和巳さんの3人が、これまで東日本大震災で未だに記事に出来なかった様々なルポを約35篇書き下ろしました!
まだ終わっていない震災のなかでの暮らし、それでも明日への歩みが進んでいる。あの時、誰もが見つめた現実を、もう一度、しっかりと受け止めるために、災害の検証、原発問題、生活のなかで起きている問題、学校で暮らす子ども達、未来に向けた復興について、などのテーマに分けて構成されています。
メルマガ仲間の三宅勝久、「ときどき登場」の寺家将太さん、ジャーナリストの長岡義幸さん、記者会見ゲリラの畠山理仁さん、ジャーナリストの粥川準二さんも、寄稿してくました。友人の編集者が、僕らが儲かりもしないのに取材を続けてきたことに支援してくれ、まさに赤字覚悟で頑張って発行してくれました。何とぞ宜しくお願いします。



村上和巳 むらかみ・かずみ
1969年、宮城県生まれ。医療専門紙記者を経てフリージャーナリストに。イラク戦争などの現地取材を中心に国際紛争、安全保障問題を専門としているほか、医療・科学技術分野の取材・執筆も取り組む。著書に「化学兵器の全貌」(三修社)、「大地震で壊れる町、壊れない町」(宝島社)、「戦友が死体となる瞬間−戦場ジャーナリスト達が見た紛争地」(三修社/共著)など多数。
[Twitter] @JapanCenturion
[公式サイト] http://www.k-murakami.com/



■発行元:「石のスープ」編集部

■文責・編集:
  渋井哲也(フリーライター)
  村上和巳(フリージャーナリスト)
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category: 村上記事

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渡部真【勝手気ままに】vol.12「東電福島第一原発構内の取材日誌」(4/4) 



石のスープ
増刊号[2012年10月22日号/通巻No.50]

今号の執筆担当:渡部真

「東電福島第一原発構内の取材日誌」
(4/4)




→前ページ「東電福島第一原発構内の取材日誌」(3/4)へ戻る←


■高橋所長の囲み取材

[12:55]
 報道陣の控え室で、高橋毅1F所長(55歳)の囲み取材が始まった。

高橋所長「昨年12月から、前任の吉田の後を引き継いでいる高橋です。今回の事故によって、福島や全国の皆さんに大変なご迷惑をおかけして心より申し訳なく思っております。現在の1Fの状況ですが、本日、皆様にご確認いただいたように、発災直後の状況からはある程度落ち着いた状況になりつつあり、現在は廃炉に向けた作業ということで、4号機の使用済み燃料を取り出すといった作業を試みています。これは、来年の暮れには取り出す事が出来ると思っています。いずれにしても1〜3号機の原子炉の中は重大な状況ですので、これをしっかりと管理する。放射性物資をこれ以上外に出さないということで、やっております。なるべく1日でもはやく、地元の皆様に戻って来てもらえるように、作業員も皆、1日3000人近く入って作業しています。作業員の安全も十分に気をつけたやっていきたいと思っています」

尾崎記者「大熊町からの避難者によると、東電によって故郷を奪われたなどと憤りの声が出ている」

高橋所長「地元に皆様にご迷惑をかけている事はたいへん申し訳ないと思っています。1Fで出来る事は、二度と同じような事故を起こす事がないようしっかりとやっていくしかないと思っています」

尾崎記者「こうした個別ケースを知っているか」

高橋所長「具体的な個別のケースを存じ上げているわけではないが、そうしたケースがあった事は理解している」

桑田記者「4号機の使用済み核燃料プールの安全性について」

高橋所長「建物も損傷も大きく、多くの方に不安を与えていると思われる。一つは、こうした損傷などによって破損した部分が機能しなくても、再び大きな地震が起こったとして建物の健全性は保たれる計算はしている。そうは言っても、1500体もの大量の燃料棒が入っているので、その下の支柱等を強化し、さらに2割増程度の強度を増している。今後も、十分なメンテナンスをしていく。燃料を取り出す事が最大の安全確保なので、来年暮れまでにできるように進めている」

外国人記者「1〜4号機の事故収束作業が遅れているのではないか?海外の人間には信じられない」

高橋所長「安全の確保を最優先に進めている。とくにこれまでは道路の上などに瓦礫が散乱し、放射性物質があったが、こうしたものを排除して外の環境を整備して来た。建屋の中はまだまだ人間が入れない放射線量の場所もある。ロボットなどを使って慎重に進めたい。遅いというご指摘もあるが、安全に配慮して進めていきたい」

西川記者「先日も3号機で鉄骨が落下する事故があったが、今後、安全に作業を進めていけるのか?」

高橋所長「ここで100%安全ですとは言い切れないが、一つの作業をやるにも十分な調査をし、計画やシミュレーションなどを重ねて進めている。3号機の鉄骨落下の事故でご心配をかけて申し訳なかった」

亀松記者「高い線量の作業にも関わらず、作業員の不正が続いている。所長の見解は?」

高橋所長「一概に言えない。単純に忘れているケースもあるが、意識的に隠すケースもある。事故以降、どうしても十分に作業者の管理が出来なかった部分は否定できない。今後はこうしたケースに対応していきたい。作業員には、法律で定められた被爆線量を超えてしまうと働けないという危機感があると思う。基本的には、作業員の被曝を抑えられるように、放射線量を下げる事が大事だと考えている」

TBS記者「アルプスについて。いずれ水を海に排出するという話も出ているが、見通しは?」

高橋所長「見通しは分からない。いまはまだ放射性物質を含んだ水が増えている状況。放射性物質をできるだけ除去することが、まずやっている事」

記者「3号機の作業再開の見通し」

高橋所長「明確にいつとは言えない。本日、使用済み燃料プールの中にカメラを入れて、鉄骨が瓦礫がどうなっているか確認しているところ。政府からは、とりあえず再開の許可はもらった。安全性を確保し、十分に計算をしてから作業を再開したい」

松井記者「一昨日1号の内部の様子が公開された。こうした映像や情報を得て、所長はどう思うか」

高橋所長「1号機については2号に比べると、予想と大きく変わらなかった。水の量はある程度確保できているだろう。たぶん、原子炉から格納容器にも、損傷した燃料が落ちている。それが3メートルほどある格納容器の中で冠水して、冷却もされているという状況なのだろうと推測できる。その点は良かった。水質は、これも2号機に比べて意外とよく見えていた。水かクリアに見えているというのは悪くない結果だと思う」

 13時15分、ここで取材は打ち切られた。僕は「3号機の全体の収束へのスケジュールを改めて確認」と、「高橋所長が免震重要棟で毎日過ごす中で、日々の積算被曝量や、これまでの内部被曝線量」などについて質問をしたかったが、残念ながら機会がなかった。


■免震棟を出て、再びJビレッジ

[13:22]
 免震重要棟からJビレッジに戻るため、控え室をでる。
 免震重要棟の廊下や階段の壁面には、全国から原発作業員の皆さんへ向けたメッセージボードや横断幕が届けられ飾られている。電力会社関係や、警察や消防関係からのものが多いような気がするが、小学校からのメッセージも目立つ。

[13:27]
 Jビレッジに戻るバスに乗り込む。隣りには元新聞記者で、現在は雑誌編集部にいる記者だった。お互いに今日の感想などを言い合う。彼は、想像よりも圧倒されて、まだまだちゃんとした感想を言えるような状況ではないという。

[13:35]
 バスがようやく出発。東電の敷地を出て、Jビレッジへ戻る。国道6号線に戻ると、東電から記者たちが携帯電話を返却され、電話の使用許可が出た。すぐにツイキャスをやろうと思ったが、ソフトバンクは繋がらない。

[14:03]
 大熊町と富岡町の町境まで来て、ようやくソフトバンクの電波が繋がった。ツイキャスを始める。
 この先は、20分間ほど、ツイキャスが残っているので、参考までに。

《ツイキャス》福島県富岡町国道6号線/2012年10月12日
http://twitcasting.tv/craft_box/movie/6791923

《ツイキャス》福島県富岡町〜広野町国道6号線/2012年10月12日
http://twitcasting.tv/craft_box/movie/6791958

[14:25]
 Jビレッジに到着。

[14:30]
 報道陣用の控え室に戻る。
 ここでもツイキャスの映像が残っているので、参考までに。ただし、最初の2分間はJビレッジ内を移動しながら撮影しているので画像が揺れている。要注意。
 二つ合わせて20分ほどの映像だが、ニコニコ動画の亀松記者のコメントや、寺澤氏の正式な挨拶なども入っている。

《ツイキャス》福島県広野町Jビレッジ/2012年10月12日
http://twitcasting.tv/craft_box/movie/6792089

《ツイキャス》福島県広野町Jビレッジその2/2012年10月12日
http://twitcasting.tv/craft_box/movie/6792244

[14:58]
 再度、WBC検査を受けるために、マイクロバスに乗って検査場へ向かう。

[15:12]
 検査場に到着。入所時は6台だけを使用していたが、今度は9台を使用している。

 さて、WBCの検査を具体的に見た事ない人もいるかと思う。今回、特別に某所の検査風景を撮影した映像を入手したので、ニコニコ動画にアップした。

《ニコニコ動画》某所にてWBC検査の様子
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19177829

 検査する人は、自分の順番になったら、検査機の前にいき、手荷物やポケットなどに入っているものを出し、手前のかごに入れる。機械の中の椅子に座る。目の前に小さなモニターがあるので、その指示に従って、椅子の脇にあるボタンを押せば検査開始。ちょうど1分で機械の動作は終了。「正常です」と表示される。機械から出て手荷物を持てば検査が終了となる。非常に簡易的なものだ。

 僕の入所時の検査結果は1063cpmだったが、退所時の検査結果は1163cpmだった。これは、機械の誤差と言える。まぁあまり内部被爆線量は変わっていないということだろう。
 ちなみに、APDによる積算外部被曝量は、9時頃から15時頃までの約6時間で、62マイクロシーベルトだった。

[15:30]
 WBC検査を終え、Jビレッジの控え室まで戻って来た。入所時のWBCはとても時間がかかったが、退所時は使用する検査機を増やしたためかあまり時間を取られず終わった。
 これで、全日程が終了である。控え室を出て、駐車場に移動して、東電広報室の人たちや関係者に挨拶を済ませ、ニコニコ動画やIWJのスタッフ、既知の記者、尾崎カメラマンなどとも別れを済ませた。

 7時にJビレッジに到着してから、およそ8時間半の取材だった。

1V0A7567.jpg
手に持っているのは、ICレコーダー
として養生して使用したiPhone
写真提供:尾崎孝史


*  *  *  *  *  *


 さて、非常に長い日誌となってしまいました。
 正直、もっと短くするべきかとも考えましたが、今後、別の記者が東京電力・福島第一原発を取材する機会があった際に出来るだけ参考になればと考えて、長いまま日誌を残すことにします。

 新聞、テレビ、雑誌、外国人記者、ネット、それぞれの媒体ともまた別の報告になりました。こうした記録も、あって良いかと思います。これで、貴重な取材機会を与えてもらった事に対して少しでもお返しになれば幸いです。

 最後になりましたが、感想を一つ。
 最初にも書きましたが、実際に取材をするまで、正直言って自分にとってどれほどの取材価値があるのか正確に把握できないでいました。しかし、やはり今回取材できた事は、とても良い経験になりました。
 今後もこうした機会があれば、出来るだけ多くの記者の方々に、応募してほしいと思います。もし、僕のように迷っている記者がいたとしたら、迷わずに行ってみる事をおススメします。今さらですが、それぞれが、それぞれの方法で伝えていく事が、何よりも大事な事なんだと、改めて感じました。

 では、これからも貴重な体験を求めて、取材を続けていきたいと思います。
 今後とも、「石のスープ」を何とぞ宜しくお願いいたします。


→1ページ目「東電福島第一原発構内の取材日誌」(1/4)へ←

→2ページ目「東電福島第一原発構内の取材日誌」(2/4)へ←

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■9月24日(月)発売!
『週刊金曜日』増刊号
〜さようなら原発 路上からの革命〜

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発 行:(株)金曜日
定 価:500円
アマゾンにジャプ→ http://goo.gl/4L0Fd

「さようなら原発」のデモや集会が全国に広がっています。毎週金曜日に行なわれる首相官邸前デモや「7・16」の代々木公園には10万人を超える人々が集まりました。そこで目立つのは、これまでデモや市民運動に参加して来なかった人々の姿。原発事故をきっかけに、いま、「さようなら原発」の運動は、かつてないほど盛り上がっています。「この間の流れを1冊の写真誌として記録に残したい」と『週刊金曜日』が増刊号を発行しました。
全68ページ中36ページがカラー印刷。そのほとんどが、東京や全国の運動を写真で紹介しています。そのほか、哲学者・柄谷行人さんのコラム、フリーランスライターの畠山理仁さん、島田健弘さんなどの記事。そして渡部も、「7・16代々木集会」のレポートや、「20万人? 2万人? デモ参加人数、どっちがホント?」という短いコラムを書いています。また、僕が全体の編集と、一部デザインを担当。制作には、古くからのフリーランス仲間が協力してくれ、いつもの『週刊金曜日』とは一味違ったスタイルで作られています。



■まだまだよろしくお願いします!
風化する光と影
〜“メディアから消えつつある震災”の中間報告

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著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真
発行元:E-Lock P.
発売元:マイウェイ出版(MYWAY MOOK)
定 価:1000円
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渋井哲也、渡部真と、ジャーナリストの村上和巳さんの3人が、これまで東日本大震災で未だに記事に出来なかった様々なルポを約35篇書き下ろしました!
まだ終わっていない震災のなかでの暮らし、それでも明日への歩みが進んでいる。あの時、誰もが見つめた現実を、もう一度、しっかりと受け止めるために、災害の検証、原発問題、生活のなかで起きている問題、学校で暮らす子ども達、未来に向けた復興について、などのテーマに分けて構成されています。
メルマガ仲間の三宅勝久、「ときどき登場」の寺家将太さん、ジャーナリストの長岡義幸さん、記者会見ゲリラの畠山理仁さん、ジャーナリストの粥川準二さんも、寄稿してくました。友人の編集者が、僕らが儲かりもしないのに取材を続けてきたことに支援してくれ、まさに赤字覚悟で頑張って発行してくれました。何とぞ宜しくお願いします。



渡部真 わたべ・まこと
1967年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。
[Twitter] @craft_box
[ブログ] CRAFT BOX ブログ「節穴の目」



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category: 渡部記事

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渡部真【勝手気ままに】vol.12「東電福島第一原発構内の取材日誌」(3/4) 



石のスープ
増刊号[2012年10月22日号/通巻No.49]

今号の執筆担当:渡部真

「東電福島第一原発構内の取材日誌」
(3/4)




→前ページ「東電福島第一原発構内の取材日誌」(2/4)へ戻る←


■1〜2号機の山側を走り、再び高台へ

[11:11]
 「地下水バイパス試験井戸」を通過する。くり返すが、ここは本来は3号機の山側を走ればいいものを、瓦礫などが散乱しているという理由で、迂回しているポイントだ。
 車内空間線量は「85マイクロシーベルト/毎時」。

[11:12]
 再び坂を下り始めた。2号機と3号機のちょうど間に向かってバスが降りていく。
 右側に3号機の原子炉建屋が丸見えになっている。やはり酷い。3号機がゆっくり見える位置で車を停めてほしい。建屋の内部が見えない僕ら報道陣が、その目で見たものを伝える役割を果たさなければいけないなら、やはりこの3号機の状況こそ、動画でも写真でも十分に国民に見せ、記者はその率直な感想を伝えるべきではないのか?
 記者たちの中には、すでに心が2号機に向いている人たちも多い。

 坂を降りてバスが左に曲がると、2号機原子炉建屋山側の真っ正面だ。「構内取材ルートマップ」紫5の地点である。2号機は水素爆発していないため、建屋がキレイに残っている。しかし、原子炉の中はメルトダウンを起こして非常に危険な状態がいまも続いていると予想される。やはり、建屋だけでは判断が出来ない。すぐ横の3号機とは対照的な外観だ。
 作業員が2号機建屋の入り口付近で作業をしている。しかし、その目の前を、結構なスピードでバスが通り過ぎていく。時速は20キロを超えていると思う(実際、この後の移動距離とその時間を考えると、20キロ以上で走っていた事になる)。カメラは、彼ら作業員を納められているのだろうか?
 周囲の記者の線量計がなり出した。車内の空間線量もかなり高くなっているようだ。

 この直前、4号機の山側でバスに戻った際、寺澤氏に「なんとか、1〜2号機の前はゆっくり車を走らせてほしい」と頼んでいた。海側を走ったときのようにあっという間に過ぎてしまっては、何も見えないし、映像的にもたいしたものは撮れないはずだ。東京電力が「報道陣に公開しています」というアリバイを作るために、僕は取材に来たわけじゃない。ここに来たからには、ちゃんと見なければ、何のために来たか分からない。
「もう少し、ゆっくり走ってください!!」
 思わず、遠くの運転席に向かって叫んだ。周囲の記者たちには多少迷惑だったかもしれないが、叫ばずにはいられなかった。
 ちょうど2号機と1号機の間くらいで、東電の社員が車内の空間線量を伝える。「900マイクロシーベルト/毎時」だ。B班の中ではこれまででもっとも高い値が出た。
「もうちょっとゆっくりお願いします!」
 再び叫んだが、聞き入れてもらえず、バスはあっという間に1〜2号機の前を通過した。
 正直、何も見えなかった……。

 10月9日に東京で開かれた事前説明会で、最大に高い空間線量はどれくらいを想定しているか質問があった際、東京電力の広報室は「事前の下見では、バスの中で1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)/毎時程度は計測された」と発表した。すると、周囲の記者が小さい声で「あんまり高い線量のところ行くのはなぁ……」と隣りの記者に語っているのが聞こえた。
 自分の健康を気遣うのは大切な事だ。今回は、A班にもB班にも若い女性記者が同行している。女性は、東京電力の指針でも、男性に比べて4分の1程度、低い被爆線量に設定されている。大事な体に、必要以上の放射線を浴びるのは、僕も反対だ。
 しかし、僕自身は、1ミリシーベルト/毎時程度なら、全く構わないのでもっとゆっくり取材させてほしい。この1〜2号機の前でバスが停車して2〜3分、バスの中で撮影させてくれたとしても、40歳を過ぎて子どももいる僕には全く影響がないと考えている。これは、個人的な見解ではあるが、ほかにも同じような気持ちの記者はいるはずだ。だったら、バスを2台に分ける際、早く通り過ぎる事を希望する記者のバスと、ゆっくりバスが移動する事を希望する記者のバスを分けたら良い。
 少なくとも、こんな程度にしか見えないのに連れて来られて「はい、1〜2号機も報道陣の皆様に公開していますからね〜」と東電に言われても納得できない。
 これは、今後、記者や報道機関全体で、東電に交渉すべき重要な問題だ。
 この点も、この取材日誌に記録として残しておきたい。

 1号機を過ぎて、「窒素供給装置」が見えた。そのすぐ手前は、すべてのガラス窓が粉々に割れた事務棟だ。1号機の水素爆発の影響で、このガラス窓が割れてしまい、その映像が、事故直後にも公開されて印象深かった事を思い出した。いまでも当時のままになっているようだ。


■アルプスの施設を見て、再び免震重要棟へ

[11:14]
 海側から高台に登りきって、「構内取材ルートマップ」紫7の地点である「多核種除去装置(通称アルプス)」前に到着した。ここで再び降車し、15分程度、取材をする事が出来る。

 バスを降りる準備があったので、寺澤氏にもう一度、1〜2号機の山側や、1〜4号機の海側を走る際のバスのスピードについて、今後検討してくれるように、広報の上部に話をしたいと伝えた。寺澤氏は「今後、皆さんと本社との交渉次第でしょうが、多分難しい」と言う。しかし、実際に作業員の人たちは、外に出て作業している。理屈で言えば、健康に影響がないと東電が判断しているからこそ、作業員に作業を認めているはずだ。もちろん、事故の特別対応ということもあるが、それにしても、空間線量が1ミリシーベルト/毎時程度で、あんなスピードで走られてしまっては、1F構内でなくても、警戒区域の双葉町、大熊町、浪江町で取材なんて出来やしない。どうしても納得ができない。
 寺澤氏は「たしかにおっしゃる事はよく分かる。だけど、僕も、中途半端に約束して出来ないのは嫌だから、いまは検討しますとしか言えない」と言った。この辺の正直さも、相変わらず寺澤氏らしい。

 バスを降りる時、再び、靴のビニール履きを2枚にする。

[11:16]
 アルプス前に降車した。15分間、好きに取材できるという。
 このアルプスは、「多核種除去装置」という名の通り、汚染水に溜まっている様々な核種を除去する事が出来る。これまでの処理施設「サリー」(4号機原子炉建屋の山側裏にある建物)では、放射性セシウムしか除去できなかったが、この装置ではトリチウム以外は除去できる事になるらしい。ここには3つのアルプスが設置され、もう間もなく完成し年内にも稼働が始まる予定だが、稼働し始めれば1日当たり500トンの水を浄化処理していく事になる。
 ここで水を綺麗にする事が出来れば、1F構内中のタンクに溜まっている大量の汚染水を処分する方法も検討する幅が増えるという。1F構内には、現在約20万トンの汚染水が溜められている。単純計算すると400日かかるが、その間に、さらに汚染水は排出される事になる。現在は、もう間もなく貯蔵タンクが一杯になるが、来年の夏までには40万トンが溜めておけるように設備を作っていく計画だ。まぁ、原発にとっての「命の水」をどうやって溜めすぎず、どうやって低濃度にするかは重要だ。そのための施設となる。何だか持ったいつけた言い方だが、要するに、これで汚染水がある程度キレいになれば、例えば地下深くに水を放出しても問題ない、という事になっていくのだろうと、個人的には考えているが邪推し過ぎだろうか。

 それにしてもこの場所で15分が必要だったのか。もちろん、どんな場所でも取材できるなら何時間でもほしい。ただ、全体で決められた時間の中で動くなら、ここで15分が5分になってでも、原子炉建屋やタービン建屋の前で、後数分でいいから取材させてほしい。

 アルプスの周囲は、やはり地表に鉄板が敷かれていた。地表は砂利だが、放射線量が高いホットスポットが点在しているため、鉄板で遮蔽しているという。

1V0A8441.jpg
写真提供:尾崎孝史


[11:36]
 バスに戻った。やはりバスに乗る前に、靴のビニール履きを1枚だけ脱いだ。
 15分という話だったが、ちょうど20分間降車していた事になる。
 この地点の車内放射線量は「5マイクロシーベルト/毎時」。数百メートル先とは20分の1の線量だ。

[11:42]
 再び免震重要棟の駐車場まで戻って来た。ここでバスを降り、免震重要棟の中に入る。
 行きに免震重要棟の目の前に来た時に書いたが、鉄パイプで作られた簡易的な屋根の下で、待機させられる。まるで櫓のような、工事現場の足場のような印象だ。ここから免震重要棟に入るのだが、防護服やマスクなどをすべて脱着する。かなり厳重に入り口は警備され、数名毎に区切られる。そのため、僕ら報道陣と同行する東電広報室の社員達、数十人がいっぺんに入ろうとしても、入り口に溜まってしまうのだ。まして、ちょうど昼前で原発社業員達も続々と免震重要棟に戻ってくる。
 あっという間に長い行列になった。

 行列から少し離れ、この鉄パイプの屋根の下を見物する。ほかの記者の線量計がピーピーとなっている。尾崎カメラマンの線量計は23.6マイクロシーベルトを示している。尾崎さんによると、この場所でもっと高い値も出たという。地表を鉄板で覆っていても空間線量は高い。

 行列に戻ると、どうやら作業員の行列に戻ってしまったようだ。皆、同じような防護服を着ているので注意しないと間違えてしまう。
 隣りにいた男性作業員に話しかけてみた。マスクでよく見えないが、20代だろうか。
筆者「これから昼食ですか」
男性「はい」
筆者「毎日、こんな感じで並ぶんですか?」
男性「昼になると割りと混みます」
筆者「真夏の炎天下でも、毎日こんなに待たされるんですか?」
男性「否、いつもはもっと早いけど、今日はとくに並ばされてる」
筆者「きっと、僕らのせいですね。ごめんなさい」
男性「(苦笑)いえ……」
筆者「これから何食べるんですか」
男性「コンビニの弁当……」
 ここで、同行していた東電広報部の社員に腕を掴まれた。「ここでは作業員に取材しない約束になってますよね」と言われた。「否、まぁ雑談だから」と返したが、確かにあのまま雑談が進めば、たぶん、改めて外で話を聞かせてほしいという交渉はしただろう。ここは、大人しくしておかないと、周囲の記者たちに迷惑をかける事になってもいけない。そのまま、報道陣の行列前で戻った。


■事務棟内で休憩

[12:06]
 20分近く並んで、ようやく免震重要棟の建物の中に入る事が出来た。
 まず最初の部屋で、ヘルメットを脱ぎ、3重になっている手袋を1枚だけ脱ぐ。靴のビニール履きもここで脱いだ。次の部屋では、手荷物を一旦預ける。その上で、防護服や手袋などをすべて脱ぐ。次の部屋に行くと、手荷物は簡易的な外部被曝の検査を受けて、問題がないものとして返される(※手荷物を持つ事が出来なかったため、後で記憶を戻してメモをしたので、若干の間違いがあるかもしれない)。
 すべては、免震重要棟にできるだけ放射性物質を侵入させないためだ。かなり厳重に管理されている印章を持った。

[12:16]
 防護服などを脱着し手荷物を受け取ると、免震重要棟の2階に案内された。「緊急対策室」と書かれた入り口の横を通り、控え室に通される。ここで暫く休憩をする事になる。
 控え室には、山崎製パンの「ランチパック」(ハムチーズ味/軽井沢キャベツメンチ味)、パックジュース、ペットボトルの水などが大量に用意され、記者たちが自由に食べていいという。正直、とくに腹は減っていなかったが、とりあえず、全部いただいた。これで東電に接待された事になるのだろうか。東京でこんな事を言えば、フリージャーナリストの寺澤有氏から「渡部さん、ランチパックで東電に買収されちゃったの?簡単だねぇ。せめて料亭で接待とかさせてから買収されてよ」と嫌味を言われそうだ。
 まぁ、接待されてご馳走を受けても、一切遠慮しないくらいの図々しさが僕なので、これくらいでは心配しないでね、と心の中で寺澤有さんに話しかけてみた。

 東電の広報室社員が来て、11月から使用される新しい防護服が披露された。下請けの作業員が、APDを鉛で包んで積算放射線量を誤摩化すという事件が起きたため、胸の部分を透明にして、APDが正常に装着されているかチェックしやすいように改良された。

 周囲の記者たちと雑談が進む。大きな取材が一息ついて、皆緊張感から開放されている。中には、同行していた東電の広報室の社員達に、今日の取材での補足説明を求めている。広報部長だった寺澤氏も人気だ。

[12:38]
 この日1日、東電の寺澤氏には、とても丁寧に取材に応じていただいた。いつもはノラリクラリの対応に腹が立つことも少なからずあったが、今日は本音を含めて色々と突っ込んだ話を聞く事が出来た。
 実は、寺澤氏は、この10月1日から、広報室の部長から異動になっていた。最初に「今日は皆さん報道陣の対応のために応援に来ました」と言っていたが、東電広報部長としては最後の仕事だという。すでに、日本原燃に出向になっているそうだ。フリーランスの記者たちにコメントをもらった。
「寺澤でございます。これまでの会見の中ではご不快な点もあったと思いますが、改めてお詫び申し上げます。10月1日付けで日本原燃という会社に出向となります。今後とも一所懸命やっていこうと思っています。長い間お世話になりました」
 最後に、記者会見ではたびたびぶつかり合っていたフリーランス記者の木野龍逸さんにも一言コメントをもらった。
「木野さんとは、会見で何度も質疑応答のやり取りをさせていただいてきましたが、引き続き東電の方の会見も入られると言う事ですから、ぜひ、あの、本店のご取材にあたっては、ルールを守っていただければと思っております。よろしくお願いいたします」


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■9月24日(月)発売!
『週刊金曜日』増刊号
〜さようなら原発 路上からの革命〜

発 行:(株)金曜日
定 価:500円
アマゾンにジャプ→ http://goo.gl/4L0Fd

「さようなら原発」のデモや集会が全国に広がっています。毎週金曜日に行なわれる首相官邸前デモや「7・16」の代々木公園には10万人を超える人々が集まりました。そこで目立つのは、これまでデモや市民運動に参加して来なかった人々の姿。原発事故をきっかけに、いま、「さようなら原発」の運動は、かつてないほど盛り上がっています。「この間の流れを1冊の写真誌として記録に残したい」と『週刊金曜日』が増刊号を発行しました。
全68ページ中36ページがカラー印刷。そのほとんどが、東京や全国の運動を写真で紹介しています。そのほか、哲学者・柄谷行人さんのコラム、フリーランスライターの畠山理仁さん、島田健弘さんなどの記事。そして渡部も、「7・16代々木集会」のレポートや、「20万人? 2万人? デモ参加人数、どっちがホント?」という短いコラムを書いています。また、僕が全体の編集と、一部デザインを担当。制作には、古くからのフリーランス仲間が協力してくれ、いつもの『週刊金曜日』とは一味違ったスタイルで作られています。



■まだまだよろしくお願いします!
風化する光と影
〜“メディアから消えつつある震災”の中間報告

著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真
発行元:E-Lock P.
発売元:マイウェイ出版(MYWAY MOOK)
定 価:1000円
アマゾンにジャプ→ http://t.co/Afp6g7qY

渋井哲也、渡部真と、ジャーナリストの村上和巳さんの3人が、これまで東日本大震災で未だに記事に出来なかった様々なルポを約35篇書き下ろしました!
まだ終わっていない震災のなかでの暮らし、それでも明日への歩みが進んでいる。あの時、誰もが見つめた現実を、もう一度、しっかりと受け止めるために、災害の検証、原発問題、生活のなかで起きている問題、学校で暮らす子ども達、未来に向けた復興について、などのテーマに分けて構成されています。
メルマガ仲間の三宅勝久、「ときどき登場」の寺家将太さん、ジャーナリストの長岡義幸さん、記者会見ゲリラの畠山理仁さん、ジャーナリストの粥川準二さんも、寄稿してくました。友人の編集者が、僕らが儲かりもしないのに取材を続けてきたことに支援してくれ、まさに赤字覚悟で頑張って発行してくれました。何とぞ宜しくお願いします。



渡部真 わたべ・まこと
1967年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。
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category: 渡部記事

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渡部真【勝手気ままに】vol.12「東電福島第一原発構内の取材日誌」(2/4) 



石のスープ
増刊号[2012年10月22日号/通巻No.48]

今号の執筆担当:渡部真

「東電福島第一原発構内の取材日誌」
(2/4)




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■正門から、構内移動用のバスまで

[10:24]
 ここまで、ずっと寺澤氏に質問をしながら移動して来た。主に聞いていたのは、作業員の日常の作業風景や行動について。例えば、「原発作業員が日常の作業前に、Jビレッジに立ち寄るのは平均的にどれくらいの時間か?」「かなり朝早く(夜中の4時過ぎや5時頃)から作業員がJビレッジに入ったり、国道6号線から1Fに向かう姿を何度か見ているが、そんなに早い時間のローテーションってどんな作業なのか」など。こうした日常の様子については、作業員から直接聞いたことはあるが、東電社員から聞いたのは初めてだったので勉強になった。ほかにも、東電広報室が、事故以前に原発視察に訪れる見学者を案内するときの様子や、事故後、政治家や要人が1Fの視察をする際の広報担当者としての仕事内容などについても話を聞く事が出来た。こうした話を書いていると長くなるので、いずれ、どこかで改めて書く事にしたい。

 正門を通ってすぐ、無数の青色のタンクが設置されている。低濃度の滞留水が溜められている。1F全体が、事故以降いまに至るまで「水の処理」が問題の中心になっていることを、改めて実感させられる。

 ここで、構内取材のルートマップを確認できるように、画像を作成しアップしたので、ここから先はこのマップを参照しながら読んでほしい。

[参考]構内取材ルート 2012.10.12
http://www.craftbox-jp.com/sdp/121012_1Fmap.jpg

[10:26]
 免震需要棟前の広い駐車場に着く。「構内取材ルートマップ」紫1の地点だ。
 バス社内の空間線量は「73.2マイクロシーベルト/毎時」

 駐車場の端に、消防車が10台ほど停まっている。注水ポンプが緊急停止したときなどに、注水車として使用するために待機しているという。
 昨年9月、構内周辺取材をした際、サービスホールの脇の駐車場に、震災直後のアメリカやドイツから支援として送られた注水車が停められていた。事故直後に注水用の消防車が手配できずに海外からの支援を受けたが、そのすぐ後、国内の消防車を待機させられるようになり、そのまま待機しているという。

 正確には駐車場内を少しだけ移動するのだが、この免震重要棟前の駐車場で、構内移動用のバスに乗り換える。
 今度こそ、右側の窓側の席を確保したい。というのは、ルートマップを見れば分かるように、今回のルートは右回りだ。右側に原子炉やタービンの建屋をのぞみながらバスが進行する。よく見える場所は右側となる。カメラマンには優先的にその位置を譲るとして、記者として空いている部分は出来るだけ右側を確保したい。運良く、10列中、後ろから3列目の右側の席を確保できた。しかも、再び、寺澤氏が隣りの席に座った(偶然である)。なかなか良いポジションをキープできた。

 免震重要棟の建物の前に鉄パイプなどで簡易的な屋根が作られ、その下のコンクリートが鉄板で覆われている。
 寺澤氏の解説によると、免震重要棟前の駐車場は、地表がかなり放射性物質で汚染され、空間線量が高い地点となっている。原子炉の爆発時に、かなりの放射性物質が飛び散って、この駐車場に降り積もったのだろう。とくにセシウムなどはコンクリートやそのすぐ下の地表に溜まりやすいようで、コンクリートを全面的に剥がし、新たにコンクリートやその下の土を敷き詰め換えないと線量は低くならないらしいが、そんな大規模な工事をやっている余裕がないため、重要な物質部室を浴びないよう、簡易的な屋根を設置しているらしい。


■免震重要棟から4号機まで

[10:35]
 構内移動用のバスが出発した。ここからが本格的な構内取材だ。
 「構内取材ルートマップ」紫2の地点、「炉注水ポンプ」「バッファタンク」を通過。1号機から3号機までの原子炉に水を供給しているポンプと、その水を溜めておくタンクだ。3つのタンクがあり、常に2台のポンプが稼働して注水している。この先から、約直径15〜20センチ程度のホース数本が、原子炉まで続いている。
 事故以前の原発施設なら、原子炉のすぐ近くにポンプとタンクを備え付けておくのだが、津波の影響で原子炉前にあった施設は使えなくなっている。ここから一番遠い3号機の原子炉までは、直線距離で約500mある。この数百メートルの距離を、細くて頼りない配管だけで「命の水」を供給しているのだ。何度も何度も「汚染水が漏れた」というニュースがあるが、この設備を見れば、汚染水が漏れても仕方ないと思わざるを得ない。
 いま仮に、大規模な地震や津波があれば、この配管はすぐに切れてしまうだろう。津波なら間違いなく流される。そうなれば、原子炉は再び注水が出来なくなり空焚きになる。現状が「安定」しているとはいえ、いつ不安定な状態になってもおかしくない。原子炉に到着する前に、まざまざと実感させられる。
 ここでの車内空間線量は「93マイクロシーベルト/毎時」。
 ここまでが、海よりもやや高台になっている。ここから緩やかに坂を下っていくと、いよいよ1号機から4号機の原子炉に近づいていく。

[10:38分]
 坂を降りバスがカーブを曲がると、1号機から4号機タービン建屋の海側をバスが通り抜けていく。
 右手にいくつかの建物、左手にも建物が並び、そのむこうに海が見える。正直言って、近すぎてもっとゆっくり走ってくれないと、それぞれの建物がよくわからない。
 ここに来て、僕はある事に気がついた。そこは、この1年半、福島に限らず、東北の沿岸部で嫌となるほど見せられて来た、いまでも各地で見られる「津波被災地」の風景だった。建物は壁が崩れ、赤く錆びた鉄骨がむき出しになっている。車が転がり、津波で流された瓦礫が散乱している。そして、それらが適当に端に寄せられ、何となく集められて放置されている。向きをかえて海側を見れば、むき出しの海岸線に、福島の沿岸らしい高くて力強い波しぶきが立っているのが見える。ここは、まさに津波に襲われた東北の沿岸地域そのものだった。
 僕は、原子炉の目の前にいながら、すぐ目の前を時速10〜15キロくらいで通り過ぎていく大きな建物(タービン建屋)に何かを感じるよりも、この場所が津波の被災地である事に改めて感じさせられるものがあった。

 次々と車内空間線量が読み上げられていく。
「1号機タービン建屋海側、350マイクロシーベルト/毎時」
「2号機タービン建屋海側、120マイクロシーベルト/毎時」
「3号機タービン建屋海側、450マイクロシーベルト/毎時」
「4号機タービン建屋海側、200マイクロシーベルト/毎時」

 外では、作業員達が淡々と作業をしている。一人の作業員がこちらを見ていた。これまで1Fの作業員の方から直接話を聞いた際、こうした報道陣の取材に対し、現場では冷ややかに見ているという話を聞いた事があるが、いまの作業員の人たちの気持ちをぜひ聞いてみたい。しかし、ここで作業員に話しかけるのは禁止されている……。

 タービン建屋や原子炉建屋の出入り口のシャッターが、津波で壊されている。このシャッターは撮影をしないでほしいと東電から事前に厳重に説明されていた。防犯上の理由という。こんなものを公開しても対して問題はないと思うが、たしかに建屋の入り口がむき出しになっている姿は、仮にテロでも起こして建屋に侵入する事を考える人がいれば、格好の侵入ポイントなんだろう……って、やっぱり撮影禁止にする意味が今ひとつ、よくわからなかった。

 建家の前を通り過ぎて、バスは山側に向かおうとしている。目の前に高台になっている場所の草木が見える。津波の被災地に来れば、こうした山や高台の草木を見ると、津波がどの高さまで来たかよく分かる。草木が枯れてしまった茶色い部分と、その上の緑が生い茂っている線上が、津波到達ラインだ。この原子炉らが、約20メートルの津波に襲われた事を示している。


■4号機原子炉建屋前(山側)で降車する

[10:45]
 「構内取材ルートマップ」紫3の地点、4号機の原子炉建屋の山側に到着した。
 ここで、バスを降りて原子炉建屋の作業風景を撮影する事が出来る。
 靴には2重のビニール履きを履いている。少し滑りやすいので、気をつけて歩かなくては。また、東電社員から「降車した際、水たまりがあったら絶対に水たまりに入らない事」と注意を受ける。線量が高い可能性があるという。

 4号機の原子炉建屋の3階部分、分厚い壁が水素爆発の影響で破壊されている。その壁面で、クレーンの先に乗せられた作業員が4人ほど作業している。4号機の使用済みプールのすぐ脇だ。4号機で問題になっているのは、確かこのプール。この作業者達は、錆びた鉄筋を撤去する作業をしているという。壁が崩れむき出しになり、鉄筋が錆びている建家。これから原子炉が廃炉になるまで何十年もかかる。基本的には、この建屋をメンテナンスしながらそのまま使用するはずだ。素人考えかもしれないが、建物の強度に不安を感じる。

 降車して、同行している東電の技術者を見つけた。彼に、いま見える範囲の作業員達にとっての、今日の作業の最大のポイントを聞いた。4号機の山側に、4号機をカバーで覆うために作業施設を作ることになっているが、まずはそのための基礎工事として、地盤を固めたり、その建物の支柱が入る掘削作業をしているという。たしかに、掘削機のような重機がある。
 重機と言えば、やはりクレーン車などの巨大な重機が何台も、何十台も見える。廃墟的空間でもありながら、これから新たな建築が始まる建設現場のようでもあり、不思議な空間に感じる。
 昨年秋、ここから15キロも離れた浪江町の山から、望遠レンズで1Fをのぞき、無数のクレーンが立っている様子をカメラで撮影した。その写真はいくつかの媒体で使われたが、クレーンで作業している様子は、原発事故の一つの象徴的な風景だ。そのクレーンが目の前にあるというのも、不思議な感覚を抱かせる。

 黄色い大きな物体が2つ見える。すでに何度も公開されて写真で見ているが、これが「圧力容器の蓋」と「格納容器の蓋」だ。10メートルほど手前までしか近寄る事が許されていないが、近づけばかなりの高線量だという。原子炉がいかに大きなものかを実感させられる。
 しかし、全体としては4号機の山側は、瓦礫などはキレイに撤去されている。

 同行記者達の線量計を複数見せてもらったが、おおよそこの4号機原子炉建屋山側の車外の空間線量は、30〜110マイクロシーベルト/毎時といった感じだった。確かに一般的には高いが、原子炉建屋から20〜30メートルという近さを考えれば、それほど高い値ではないと言える。警戒区域内では、ここから数キロも離れた地点でさえ、この程度の高線量のホットスポットがあるからだ。
 同行している東電社員に聞いたところ、3か月〜半年ほど前には、同じ地点で200マイクロシーベルト/毎時以上を計測する事も珍しくなかったという事なので、線量としてはかなり落ち着き始めていると言えるだろう。

 放置されている重機がある。その荷台に作業員が乗っている。僕もその荷台に乗ってみた。前述したように作業員に話しかけるのは禁止されている。あまり無茶をすると、「その場で取材中止」と言われているので、話しかけるのは控えておいた。が、この1メートル程度の荷台に乗ったら、3号機の建屋の上部が見えた。地面からでは微かにしか見えなかったが、この荷台に乗ると、上部の数メートル部分が見える。むき出しの瓦礫の山だ。これは酷い。これまでも映像では見ていたが、爆発直後から、あまり進展していないように見える。もっとも、外部が酷く見えるからと言って、原子炉の状態が直結するとは限らない。が、それにしても3号機の上部は酷い有様だ。

 あまり荷台で長居をすると東電社員に怒られそうなので、そうそうに下に降りた。
 3号機をよく見ると、クレーン車から原子炉の中心部に向かって、何かが釣り降ろされている。瓦礫撤去かなにかの作業だと思ったが、寺澤氏に聞くと、この日、建屋の様子をモニターするために、カメラなどを使用済み燃料プールに入れていたという。それが、クレーン車で吊されていたものだった。
 また、3号機は高い放射線量の瓦礫がまだまだ撤去しきれていないため、人間が建屋上部に近づく事が出来ない。3号機の作業の目処は、どうなっているのだろうか……。

1V0A8423.jpg
写真提供:尾崎孝史


[11:02]
 10分という約束の降車取材だったが、若干オーバーして取材をしていたようだ。
 再びバスに乗り込む際、2重にしていた靴のビニール履きを1枚脱がさせられた。バスの中に放射性物質が入り込まないための対応だ。

 車内の空間線量は「120マイクロシーベルト/毎時」。

 これから、一旦、山側に登って「構内取材ルートマップ」紫4の地点「地下水バイパス試験井戸」に移動する。
 地下バイパス試験井戸も、十分に重要な施設だろうが、ここで誤摩化されちゃいけない。その後に1〜2号機の山側に戻るのに、なぜ一度山側に登るか……。要するに、3号機の山側の目の前は、高線量の瓦礫などが散乱し、線量的にも非常に高いためバスを近づける事が出来ない……否、本当は近寄らせる事も、やる気になれば可能だろうが、近寄らせたくないという東電の意思がハッキリとわかる。実際、降車して4号機について説明を受けたが、微かに見える3号機の説明は殆どしなかった。

[11:09]
 バスが高台を登る。時おり、窓から3号機の建屋が見え、瓦礫が散乱している建屋上部がチラチラと見える。9月22日、この3号機の瓦礫の鉄骨が使用済み燃料プールに落ちて、ちょっとした事故になった。大きな報道で話題にもなっていた。そのため、3号機の事故収束作業は全面的にストップした状態になっていたが、この日の2日前の10月10日、再び作業再開の許可が政府から認められたばかりだった。
 作業はまだ再開されておらず、先ほど見たクレーンからのモニターは、中の様子を慎重に確認するための作業だったようだ。
 この間に、同行する複数の東電社員から、作業が遅れている3号機について、瓦礫撤去の進行の目処を聞いてみた。皆、正式にはまだ決まっていないと答えるだけだったが、一人だけ私見として「全く目処が立たない。どんなに早くても後半年はかかるだろう」と証言してくれた。やはり、3号機は、原子炉の状況が仮に安定していたとしても、事故収束作業としては、深刻な状態にあると言えるのではないだろうか。
 ほかの記者たちは、ICレコーダーやビデオカメラに4号機についての感想を述べている。4号機の不安定さが指摘され続けているからだろう。しかし、自分の目で見た印象としては、3号機の方が圧倒的に不安にさせられる。これは、僕が不勉強すぎて、皆よりおかしい感覚なのだろうか……。

 寺澤氏に「3号機はやはり酷い状況だと思う。こうした状況を踏まえて、昨年12月16日に野田首相が発表した『事故収束宣言』について、改めて感想を聞かせてほしい」と聞いた。

「政府は『事故収束』と明言していましたっけ? 我々としては、一度も『収束』と言ってはおりません。あくまでも『冷温停止状態』という状況を説明しているだけ。この冷温というのも、要するに水が沸騰していない状態になっているというだけで、決して安心できる状況というつもりもない」

 相変わらず寺澤氏らしいスッ惚け方だ。政府は昨年12月、工程表のステップ2が完了したことを宣言した。野田首相も「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と踏むこんで発言している。その上で寺澤氏は「工程表のステップは、あくまでも、その時点で計画をしたもので、本来は適宜、作り直されるべきだと思う。そんなに単純に作業が予定通り進むはずがない。作業が早く済む事もあり得るし、工程表にしばられるべきじゃないと思います」と、少し本音も話してくれた。


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渡部真【勝手気ままに】vol.12「東電福島第一原発構内の取材日誌」(1/4)《無料公開中》 



石のスープ
増刊号[2012年10月22日号/通巻No.47]

今号の執筆担当:渡部真

「東電福島第一原発構内の取材日誌」
(1/4)




■「一生友達でいてください」

 こんにちは。「石のスープ」編集部の渡部です。
 「石のスープ」リニューアル第一弾としてお送りするのは、2012年10月12日に実施された「東京電力福島第一原子力発電所構内の報道陣公開取材」についての報告です(以下、福島第一原発は「1F」と表記)。
 なお、今後の取材資料として広く活用していただきたいので、今回は無料公開となります。

 さて、この1Fの構内取材ですが、これまで、日本の報道機関には合計4回の公開がありました。しかし、フリーランサーには前回5月の公開にようやく2名の記者が参加可能になり(撮影は不可)、今回、初めてフリーランサーに1人のカメラマンの取材が認められました(別に記者が一人)。この取材申し込みに際し、複数の記者の申し込みがあり抽選となったのですが、当日、僕は別の仕事で抽選に参加できなかったため、フリーランスライターの畠山理仁さんに代理抽選をお願いしました。

 実は、これは本人に許可を得ずにここで明かしてしまうと、前日の夜中まで、畠山さんは抽選を辞退するか悩んでいたようです。前回の5月の取材で、一度、構内取材を経験しているからでしょう。もちろん、色んな記者が参加できる事は大事だと思います。しかし、同じ人が何度も見る事で分かる事もあるはずです。
 前日の夜から、村上和巳さんと畠山さんと僕でLINEで情報交換をしていましたが、朝になっても仕事が終わらないので、「畠山さん、代理よろしく」と頼みました。この頃には、畠山さんのなかでも踏ん切りがついたようです。

 そして、10月5日、抽選が始まってすぐの14時15分、TwitterやLINEやメッセージからのお知らせが、一斉にiPhoneに入ってきました。
「渡部さん、当選おめでとう!」
 抽選の中継を見ていた人たちが、メッセージを送ってくれたのです。仕事の打ち合わせ中で、真面目な場面にいた僕は、「おぉ!マジか!!」と思いながら、打ち合わせのメンバーにバレないよう下を向いてほくそ笑んでいました。

 しばらくして打ち合わせを中座した僕は、すぐに畠山さんに電話し、第一声でこう言いました。

「一生友達でいてください」

 実は、前回の構内取材で畠山さんが抽選に当たった際、その時は畠山さんが会場に来られず、別の方に代理抽選を頼んでいたため、畠山さんに当選を知らせる連絡を僕がしたのです。その時に電話した第一声が「もうお前とは友達やめるわ!」でした。
 今回は逆に、畠山さんのお陰で抽選に当たる事が出来たので、改めて友達でいてくれるようにお願いした次第です。
 もう一人、カメラマンとして同行する事になったのは、尾崎孝史さん。「希望の牧場」などの取材現場で何度かご一緒した事があったり、先日発売された「週刊金曜日〜臨時増刊号」の編集をした際、表紙の写真などを提供してくれたカメラマンで、その腕は十分に信用できる方でした。

 さて、1Fの構内を取材するという貴重な機会をもらった僕ですが、実際に取材できるとなると、僕には何が伝えられるのだろうか、正直迷いました。カメラがあれば、少しは現場を伝えられる。しかし、記者としてペン1本で僕に伝えられる事は……、大手メディアや原発問題を丁寧に取材してきた記者達に比べ、僕が伝えられる事って……。実は、取材が決まってから当日までの1週間、結構悩んでいました。

 そこで出した結論が、当日の取材日誌を公開する事です。
 この取材の準備の際、実際に当日のシミュレーションをしようと思ったのですが、ニコニコ動画やIWJが公開している構内の動画以外、ほとんど役に立ちませんでした。事前に畠山さんからいろいろと話は聞いていましたが、やはり詳細に1日の行動を記録しておく事は、今後の取材記者にとって、少しは役に立つのではないでしょうか。これなら、本来は編集者の僕らしい取材報告になると考えた次第です。

 読者の皆さんには、かなりの長さで、少し退屈かも知れませんが、よかったらお付き合いください。なお、動画で見たい方は、ニコニコ生放送、もしくはIWJが配信している動画をご確認ください。
 同時に、同行取材した尾崎カメラマンが、「fotgazet」にて撮影した画像を無料公開しています。そちらも参考にしてください。

[動画]
ニコニコ生放送配信
http://live.nicovideo.jp/watch/lv110301418

IWJ配信
http://www.ustream.tv/recorded/26115371

[写真]
fotgazet 福島第一原発 敷地内の写真を公開
http://fotgazet.com/news/000263.html

 ということで、いつものように前ふりが長くなりましたが、ここからいよいよ、取材日誌となります。「石のスープ」ではこれまでないほどの長い記事になりましたので、4回に分けて配信します。それでは、しばしお付き合いを……。


■集合から1F構内に入るまで

[10月12日 07:00]
 Jビレッジに到着。
 8時集合だが、早めに到着した。完全徹夜できたので眠い。少し仮眠したい。「メガシャキ」を2本飲んで、間違っても取材中に居眠りをしないようにしなければ。
 7時半になったので、もう一度、荷物の整理などをしておこう。ICレコーダーは回しっぱなしにしようと思ったが、電池を忘れた。いまから近所のコンビニまで行ってもいいが、Jビレッジの売店に行けば電池くらいは売っているはず。以前にJビレッジを訪れた際、あの売店にはエロビデオ(DVD)も売っていたくらいだから、電池も売っているだろうと行ってみた。ところが、8時オープンだった。それでも「電池売っていただけますか?」とお願いしたら、快く売ってくれて助かった(なお、集合後も割りと時間に余裕があるので、この売店で売っているものであれば、慌てなくても集合後に購入する事が出来る)。

[7:45]
 Jビレッジで指定された駐車場内で、先に集合し始めた報道陣から受付が始まった。受付といっても、駐車場にいる東電広報部の方に、自分の名前を言って、写真付きの身分証明証を見せるだけ。そのままJビレッジの正面玄関から中に入り、1階の控え室に案内される。
 控え室には、十数脚のテーブルが用意され、それぞれ4人ずつ席が決められている。テーブルの席の上には、各自の入構証IDカードや防護服などが用意され置かれている。ちなみに、今回の取材社は45人となっている。
 席に着く間もなく、荷物を置いたら、先に集まっている記者から、ホールボディカンター(WBC)検査を受けるために移動を指示された。

[8:00]
 マイクロバスに乗って、Jビレッジの別の施設(屋内練習場)に移動し、WBCの検査室に着く。検査室には、合計10台のWBCが設置されていた。このうち、6台を使って、合計45人の報道陣の検査をする事になる。検査そのものは1分間の簡易検査だが、それなりに待たされて退屈する。
 僕は、控え室で「荷物は置いていって大丈夫です」と言われたので、ウッカリ、iPhoneもカメラも置いてきてしまったが、同行した「ニコニコニュース」の亀松編集長はメモ帳を片手に、つぶさに取材メモをとっている。
 「負けた」。自分には緊張感がなかったのか……。本当に敗北感を感じた。この場は、取材拒否をされているわけではないので(撮影は禁止されていた)、取材メモくらいは持ってくるべきだった。

 事前に畠山さんから、「この日の検査では、『正常かどうか』しか教えてもらえません。細かな数値を知りたい場合は、申請書を書く事になっているのですが、とくに書けと言われないので、入り口にある申請書を書いて提出することを忘れないように」と言われていた。そこで、申請書を記入して提出したが、今回の構内取材では、申請書を書かなくても記者全員に、後日、詳細な数値を教えてくれる事になっていた。

 ちなみに、4日後に東京電力広報室で確認したところ、入所時の数値は「1063cpm」だった。健康を害するような数値ではないが、去年からたびたび警戒区域を訪れ、1F周辺の空間線量の高い場所でも取材してきたので、若干、内部被曝していたようだ。

[8:50]
 控え室に戻る。
 カメラマンは、構内に持ち込むカメラの養生作業をさせられる。要するに、放射性物質がカメラについてしまって高い数値が検出された場合(つまり被曝した状態)、カメラは構外に持ち出せなくなってしまう。そのために、ビニールやテープを使って、カメラに養生をするのだ。同行した尾崎さんは、「養生したカメラでは、ファインダーが上手くのぞけず、撮影がかなり困難だ」とこぼしていた。
 僕の荷物では、ICレコーダーが養生をしなければならなかった。しかし、ビニールで養生したICレコーダーでは、ガサガサと音がウルサくなってしまう事が予想された。そこで、担当者(各テーブルに、防護服の着替えや養生の助言をしてくれる東電社員が、1人ずつ着いている)に相談し、iPhoneをボイスレコーダーとして養生して持ち込んでいいかと頼んだら、「とくに問題ない」ということで、持ち込みが可能になった。もちろん、撮影はカメラマン以外は禁止されているので、カメラ機能は使えないように養生の際、カメラ部分をテープで潰した。これで、ICレコーダーは養生せずに持ち込み、万が一、被曝して高い線量が検出された場合は、ICレコーダーを捨て、iPboneの音源だけを持ち帰る事が出来る。

 防護服や防護マスクの装着をし、準備は完了した。
 APD(外部被曝の積算線量の計測器)も装着した。当然ながら、この時点では「0.000マイクロシーベルト」だ。
 この間、東電からは10月まで広報部長だった寺澤徹哉氏の挨拶があり、一日の日程の確認、事前の注意事項などのついて説明があった。

 一部の記者から、数日前に行なわれた説明会の際、「1F構内直前前は携帯電話を持たせてほしい」という要望があったため、その確認があった。その上で、構内取材が終わって構内を出るまでは東電側に電話を預けるという条件で、帰りのバスの中では、携帯電話を使う事が出来る事になった。
 しかし、僕の場合は、iPhoneそのものを構内に持ち込むので、携帯電話を預ける必要もない。なんか、得した気分だ。
 もっとも、構内ではゴム手袋などを外せないため、タッチパネルは一切使えない。Jビレッジを出発してから構内取材が終わるまでの約4時間、iPhoneのボイス機能は使いっぱなしになる。充電器の準備も欠かせない。

 ここを出たら、約4時間ほどは防護服を脱ぐ事ができない。事前にトイレに行っておく必要がある。

1V0A7029.jpg
写真提供:尾崎孝史


[9:30]
 Jビレッジから1Fに移動するまで、バスに乗り込む。ニコニコニュースやIWJのスタッフ、大手メディアのほとんどは1号車(A班)だが、僕らフリーランサーや雑誌記者、地元メディアなどは2号車(B班)だった。
 バスに乗ったら、右側の窓側を確保しなければならない。これも事前に畠山さんから聞かされていた……が、ここではそれほど慌てる事はない。なぜなら、構内に入ってからは、構内専用のバスに乗り換えるからだ。適当に後方の席(通路側)に座った。

 しばらくすると、東電の社員が十数人乗ってきた。すると、通路を挟んで隣りの席に、寺澤氏が座ったではないか!ラッキーである。東電の記者会見や政府東電統合会見では、散々顔を見てきた人だからだ。ネット上では「ノッチ」と呼ばれ、マスコミ対応で厳しい態度を示してきた“憎き”相手ではあるが、基本的にはサービス精神がないわけではない。きっと、隣りで質問をすれば、いろいろと答えてくれるだろう。
「おぉ!寺澤さんじゃん! 今日は一日よろしくです。いろいろ教えてくださいね」
 そう声をかけると、「なんですか〜。嫌だなぁ〜。今日は応援部隊だから、よろしく」と寺澤氏。どうやら期待に応えてくれそうだ。

 Jビレッジの前のバスの中で、記者の点呼が行なわれ、その直後、東電広報室の松井氏が車内の空間線量を発表した。
「0.1マイクロシーベルト/毎時」
 いよいよ、バスが1Fに向けて出発する。

[9:50]
 楢葉役場前。東電の線量計によると、バスの中の空間線量は「0.3マイクロシーベルト/毎時」。
 警戒区域が解除され、新たに「避難指示解除準備区域」に指定された。インフラの不備などもあり、まだこの地域で暮らす事は出来ないが、住民は自由に行き来する事は出来るようになった。しかし、平日の午前中という事もあり、国道から見える範囲で、一般の住民の姿はほとんどない。楢葉役場もひっそりとしている。
 それにしても、この日は見事な秋晴れだ。素晴らしい取材日和。防護服が暑苦しいが、雨が降って最悪な状況で取材するよりも、よほど良い。カメラマン達も腕がなっている事だろう。

[9:55]
 警戒区域の検問に到着。これまでは広野のJビレッジのすぐ近くにあった検問所が、この8月10日から楢葉町の北側、富岡町の南側の国道6号線に移動した。散々見てきた検問所だが、この検問所は初めて来た。
 いつも、僕らが警戒区域に入るときは、中をよく確かめるが、ほとんどノーチェックで検問をパス。とくに中の人間を確認する事もなかった。やはり東電のバスだから、警察との間に信頼関係があるのだろうか? 日常的なやり取りとはいえ、一般人の入退出とは扱いが違うのは違和感を感じる。
 検問を過ぎてしばらくするとエネルギー館がある。ここでのバスの中の空間線量は「0.9マイクロシーベルト/毎時」(以下、とくに指定がないときのバス内の空間線量は、東電広報室によるもの)。

[10:10]
 10時3分に大熊町に入る。10時10分に、国道6号線沿いにある「もみの木パーキング」に到着した。ここで、マスクを装着する。ここからは、原子炉周辺の取材が終わるまでの約3時間、マスクも手袋も外す事が出来ない。
 手袋がうっとうしい。メモの字が、より汚くなる。周囲の声も聞こえづらくなる。ボイスレコーダーにちゃんと声が入っているか心配だが、入力レベルの針は動いているので、音は拾っているようだ。

[10:19]
 1Fの正門に到着した。
 ここに初めて来たのは、昨年の4月18日だった。構内取材を申し込みに来たが、けんもほろろに追い返されてしまった。最後に来たのは、今年の6月。それから4か月が経っていた。
 正門の手前にあったサービスホールはなくなっていた。来春には、Jビレッジに設置されている1F事故収束作業のための控え事務諸機能を、この地に移動するため、その建物を建設しているとの事。

 正門前の車中の空間線量は「8.0マイクロシーベルト/毎時」。確実に、徐々に上がって来ている。
 ちなみに、1Fの敷地に入る手前の国道6号線の交差点「中央台」は、以前からずっと、ホットスポットになっている。今年の6月で、空間線量で20マイクロシーベルト/毎時を超えることもあった。また、今年3月に地表で計った時には183マイクロシーベルト/毎時という高い線量を計測した。しかし、東電社員が中央台の空間線量を発表する事はなかった。

 正門では、一人ひとりのIDパスのチェックを受ける事になっている。東電社員から「外の係員に、許可証のパスとAPDを示してください」と言われる。それらを示す準備をしながら、メモをとっていたら、いつの間にか外の係員は、僕の確認をしないままに後ろの人のところに移動してしまった。かなり大雑把な確認作業のようだ。まぁ、東電本店の「お客様」だから係員も安心してチェック体制が甘くなったのだろう。

 さて、いよいよ構内取材になる。1年半前は、まともに交渉すらさせてもらえずに追い返されたが、そのリベンジだ。


→次ページ「東電福島第一原発構内の取材日誌」(2/4)へ進む←




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■9月24日(月)発売!
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全68ページ中36ページがカラー印刷。そのほとんどが、東京や全国の運動を写真で紹介しています。そのほか、哲学者・柄谷行人さんのコラム、フリーランスライターの畠山理仁さん、島田健弘さんなどの記事。そして渡部も、「7・16代々木集会」のレポートや、「20万人? 2万人? デモ参加人数、どっちがホント?」という短いコラムを書いています。また、僕が全体の編集と、一部デザインを担当。制作には、古くからのフリーランス仲間が協力してくれ、いつもの『週刊金曜日』とは一味違ったスタイルで作られています。



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〜“メディアから消えつつある震災”の中間報告

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著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真
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渋井哲也、渡部真と、ジャーナリストの村上和巳さんの3人が、これまで東日本大震災で未だに記事に出来なかった様々なルポを約35篇書き下ろしました!
まだ終わっていない震災のなかでの暮らし、それでも明日への歩みが進んでいる。あの時、誰もが見つめた現実を、もう一度、しっかりと受け止めるために、災害の検証、原発問題、生活のなかで起きている問題、学校で暮らす子ども達、未来に向けた復興について、などのテーマに分けて構成されています。
メルマガ仲間の三宅勝久、「ときどき登場」の寺家将太さん、ジャーナリストの長岡義幸さん、記者会見ゲリラの畠山理仁さん、ジャーナリストの粥川準二さんも、寄稿してくました。友人の編集者が、僕らが儲かりもしないのに取材を続けてきたことに支援してくれ、まさに赤字覚悟で頑張って発行してくれました。何とぞ宜しくお願いします。



渡部真 わたべ・まこと
1967年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。
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【告知】『石のスープ』がリニューアルします 



石のスープ
定期号[2012年10月20日号/通巻No.46]

今号の執筆担当:渡部真




 こんにちは。「石のスープ」編集部の渡部です。

 事前に何度かお知らせしていましたが、10月から『石のスープ』がリニューアルする事になりました。

■編集部体制がリニューアル

 これまで、渋井哲也、西村仁美、三宅勝久、渡部真の4人が編集部として活動してきましたが、ジャーナリストの村上和巳さんが加わり、「レギュラーメンバー」と「スポットメンバー」にシャッフルする事になりました。

[レギュラーメンバー]
渋井哲也/村上和巳/渡部真

[スポットメンバー]
西村仁美/三宅勝久

 レビュラーの3人は、毎月、それぞれの取材報告を配信します。スポットメンバーは、数カ月に1度の頻度で、配信することになります。
 もちろん、これまで同様に、スポットメンバー以外のフリーランサーが、メルマガに投稿してくれる機会も作って行く予定です。

■「週刊」から「元週刊」へ

 これまで週刊で配信すると言いながら、たびたび配信遅延が続きました。一つは、事実上、編集を渡部一人で担ってきたため、各執筆陣から原稿が集まっても、渡部が忙しいときは配信が出来なかった事情があります。そこで、来月からは、それぞれのレギュラー陣が自分達で配信するようにします。また、いま調整中ですが、編集部にもう一人のスタッフを迎え、配信の補佐が出来る体制を作っていきます。

 その上で、配信を週刊から不定期刊とします。「不定期」と言っても、レギュラーメンバーの原稿を、最低毎月3号の配信することはお約束します。
 そのほか、号外・増刊として、スポットメンバーの記事、他のフリーランサーからの投稿、レギュラーメンバーの特別報告など、その時々でお送りします。

■テーマは「東日本大震災の取材報告」を中心に

 ご存知とは思いますが、レギュラーメンバーの3人は、「絆のメッセージ」(東京書店)、「風化する光と影」(マイウェイ出版)で共著を発表してきました。また、震災以降、協力し合いながら取材をしたり、イベントや生放送などを通じて震災の取材報告を続けたりしてきました。
 今回、この3人がレギュラーメンバーになった事で、「石のスープ」も、僕らの震災取材の報告を中心にしていくこととなりました。
 実際問題として、週刊誌でも書籍でも、あるいはイベントでも、震災取材の報告機会はなかなか確保できません。数少なくなった機会を、自分達で作り上げていきたいと考えています。

 また、現在、ドワンゴが提供する「ニコニコチャンネル」「ブロマガ」の開設を申請中です。開設が認められれば、生放送番組、イベント中継、被災地からの報告会など、「石のスープ」のコンテンツも、様々なメディアを活用できる事になります。
 これまで「風化する光と影〜取材法報告会」も、「石のスープ」のコンテンツとしてお送りしていく予定です(遠方でイベントに来られなくても、ニコニコ生放送で視聴可能に。また、イベントをテキストに起こし直して、メルマガやブログで配信することで、いつでもイベント内容を確認できるように……)。

 なお、スポットメンバーの投稿や、ゲスト執筆陣の投稿については、震災取材報告とは限りません。また、レギュラーメンバーの増刊配信についても、震災取材とは別のテーマになる可能性があります。

*  *  *  *  *  *


 ということで、新しくなった「石のスープ」を、今後ともぜひよろしくお願いいたします。

 22日(月)には、渡部真の「東京電力福島第一原発の取材日誌」、25日(木)には、村上和巳さんの自己紹介を配信予定しています(もちろん、渋井さんの記事も月内に配信します)。
 
 ぜひ、お楽しみにしてください。



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渡部真【勝手気ままに】vol.11「『週刊金曜日』増刊号の紹介」 



週刊 石のスープ
定期号[2012年9月30日号/通巻No.45]

今号の執筆担当:渡部真




 こんにちは。「石のスープ」編集部の渡部です。
 前々号の続きで、『週刊金曜日増刊号を紹介します。誌面と合わせて読んでいただけると、編集意図などをご理解いただけるかと思います。
 一部、誌面の紹介だけ公開します。

*  *  *  *  *  *

【9月24日発売『週刊金曜日増刊号
さようなら原発 路上からの革命〜】


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 前号で紹介した通り、この増刊号は金曜日の編集部ではなく、外注スタッフが中心となって制作する事になりました。
 そこで、古くからのフリーランス仲間である樋口聡さん(ライター。近著「散歩写真のすすめ」文春新書)に、一緒に編集を担当するようにお願いしました。他にもデザイナーや校正者なども古くからのフリーランス仲間に協力してもらい、本誌編集部からは、社長の北村肇さん、平井康嗣編集長、本田政昭アートディレクター、そして伊田浩之記者が加わり、増刊号編集部が立ち上がりました。

■記事の紹介

 全体の構成と、僕が直接担当したページを簡単に紹介します。
 下記のページから目次のページがダウンロードできるので、まだ増刊号をお読みでない方は、良かったらご参考までに。

[参考]『週刊金曜日』増刊号の目次〈デザイン担当:内堀明美〉(PDFファイル)
http://www.kinyobi.co.jp/news/wp-content/uploads/2012/09/zk_mokuji-1.pdf

2〜18ページ 写真ページ:
 約300人で始まった3月29日から9月7日までの官邸前アクションを中心に、7月16日の代々木公園「さようなら原発10万人集会」など、この半年間の東京の動きを時系列で紹介しています。尾崎孝史さん、山本宗補さん(近著「鎮魂と抗い―3・11後の人びと」彩流社)、野田雅也さん(近著「〈JVJA写真集〉3・11 メルトダウン」凱風社)らフォトジャーナリストと、平井編集長や伊田記者の写真を使用しています。
 また、2011年3月12日に東京電力福島第一原発が爆発した瞬間の画像や、「正しい報道ヘリの会」が撮影した迫力ある写真の見開きページも、多くの読者の皆さんに反響をいただいています。

19ページ さらん日記 番外編

20ページ 柄谷行人さん「二重のアセンブリ」:
 「アセンブリ」とは集会やデモの事。同時に議会の事でもあります。国会で開かれている議員達のアセンブリと、国会の外(官邸前など)で行なわれている市民によるアセンブリ。どちらが真正のアセンブリなのかを、哲学者の柄谷さんが書いてくれています。トップ記事に相応しい、面白い論考です。

22ページ 竹内一晴「路上から『NO NUKES』を」

26ページ 渡部真「さようなら原発“17万人”集会〜福島のあとに沈黙しているのは野蛮だ」:
 代々木の集会のレポート記事で、僕が書きました。本誌編集部からの希望で、ルポライターの鎌田慧さん、文筆家の落合恵子さん、音楽家の坂本龍一さん、作家の大江健三郎さん達のスピーチをまとめて紹介してほしいと依頼されました。しかし、それだけではなく、せっかく集会の様子を伝えるなら、福島から上京して参加していた人たちもいたので、福島からの参加者のコメントもぜひ掲載したいと思い、それらも紹介しました。

30ページ 鼎談◆雨宮処凛さん、鎌田慧さん、ミサオ・レッドウルフさん「非暴力デモで原発を潰しちゃおう〜」:
 7月に新宿ロフト・プラスワンで行われたイベントの中で実現した鼎談をまとめました。デモを主催する立場の皆さんが、どんな思いでいるのかがわかると思います。僕が構成を担当しています。

34ページ 畠山理仁さん「原発事故から1年半〜福島の人達のいま」:
 この増刊号を作るにあたり、「単に原発反対運動についてだけでなく、福島の人達がどのように暮らしているか、どんな状況にあるのかを紹介する記事も掲載したい」という話を伊田記者と話し合いました。そこで、原発事故の影響で、警戒区域から避難している人たちの困難な状況を、この半年間、丁寧に取材している畠山さんに紹介してもらいました。とくに、福島県双葉町から埼玉県加須市に避難し、未だに避難所生活を送っている様子を紹介したことについて、多くの読者の方々から反響をいただいています。

38ページ 広瀬隆さん「電気は余っている〜電力不足を自作自演する関電のウソ」

40ページ 久野収さん「市民主義の成立〜一つの対話」:
 哲学者であり創刊時からの本誌編集委員であった故・久野収氏は、一九六〇年代の大衆運動を「市民主義の成立」と定義し、組織の行動原理にとらわれない市民主義こそが重要であると訴えました。それから約半世紀を経て、全国で起こっている「さようなら原発」運動は、まさに「市民主義の成立」の様相です。久野氏の60年代の論文を転載しました。

45ページ 佐高信さん「革新勢力の失敗を踏まえた『市民主義』こそ説得力を持つ」

46ページ 島田健弘さん「野田首相に声が届く日は来るのか!?」:
 フリーライターの島田健弘さん(近編著「増税は誰のためか」扶桑社/神保哲生・宮台真司ほか)は、会見開放運動の仲間で、この1年、東北の取材でも何度か同行しています。僕は、仕事以外で知りあった仲間にも、たいてい1度は仕事を一緒にするようにしているのですが、先日「俺は渡部さんから仕事もらった事ない」と指摘されたので、頼みました……というのは、冗談半分。8月22日、反原発連合の主要メンバーと野田首相の面談があったのですが、そのことレポートをまとめていただきました。

48ページ 伊田浩之さん「“路上からの革命”はどのように全国へと広がったのか」

50ページ 渡部真「20万人?2万人? デモ参加人数、どっちがホント?」:
 主催者側はもちろん、元新聞記者のフリーランサーや、現役の社会部の記者、警視庁に確認し、改めて発表されている数字の根拠を読者の皆さんに知っていただこうと、この原稿を書きました。

51〜61ページ 「全国へ、世界へ 路上からの革命のうねり」:
 樋口さんに担当してもらった企画ですが、ちょっと紹介します。この冊子を作る上で、『週刊金曜日』が拘っていたのが、「全国のデモや集会参加者から写真を集めて、できるだけ多くの場所の様子を伝えたい」という事でした。そこで、本誌誌面、公式ホームページ、TwitterやFacebookで募集しました。100人弱の方達から応募があり、200点以上の写真が集まりました。そのお陰で、全国の様子がよく伝わる誌面ができたと思っています。

62ページ 田中龍作さん「大飯のいちばん長い日〈ルポ〉関電大飯原発再起動まで」:
 7月1日に再稼働された大飯原発の前後3日間の現地の様子を、臨場感溢れる写真と文章でレポートしていただきました。現地で3日間取材したフリーランスの記者を捜したのですが、田中龍作さんしか該当者がおらず、改めて、記者にとって「現場にいる」ことの重要性を教わった思いです。
 余談ですが、田中さんから原稿が届いた直前に、1945年8月14日、つまり日本が第二次世界大戦の敗戦を宣言した前日を描いた映画「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)を久しぶりに見ていたため、この見出しをつけました。

66ページ 「金曜日から」:
 いわゆる編集後記です。編集メンバーの全6人で書いていますが、僕の書いた分はここに転載します。

▼昨年の震災発生以降、東北各地を取材している。震災から一年間、僕が聞いていた範囲では、東北の人たちから聞こえる「さようなら原発」の声は決して大きいものではなかった。もちろん、事故直後から声をあげている人もいたが、全体としては決して大きな声ではない印象だった。今をどうやって生き伸びるかという課題を抱えていた人たちに、原発問題を考える余裕はなかったのかも知れない。しかし、この半年、とくに福島から「原発はなくすべきだ」という声が、以前よりも多く聞こえるようになってきたと感じる。大飯原発の再稼働をうけて「福島の事故だってちゃんと収束していないのに、再び裏切られた思い」と怒りを表したのは、自宅が警戒区域となり浪江町から東京に避難している女性だった。復興庁の調べでは、今も約三四万三〇〇〇人が困難な避難生活を送っている。そのうち福島県民は約一六万人。僕らが「さようなら原発」と声を上げる時、その向こうに震災で未だに苦しんでいる人たちがいる事を忘れないでいたい。(渡部真)

[写真]没になったイメージ写真
DSC_7034.jpg

*  *  *  *  *  *

 ということで、誌面の紹介や、編集こぼれ話はここまで。メルマガ購読者へ配信している記事では、さらに編集こぼれ話の裏側や、僕の編集する際の思いを書いています。興味のある方は、ぜひご購読ください。

 すでにご案内の通り、この「石のスープ」も震災取材の報告を中心にして、新しいメンバーを迎える事になりました。近いうちに正式に発表します。また、週刊時代には発行遅延でご迷惑をおかけていたので、ボリュームは変えずに月刊化し、定期的に発行する体制でリニューアルする事になりました。
 そして、少しでも読者の方を増やして、「石のスープ」編集メンバーの取材経費に役立てたいと考えています。
 今後とも、よろしくお願いします。

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■まだまだよろしくお願いします!
風化する光と影
〜“メディアから消えつつある震災”の中間報告

著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真
発行元:E-Lock P.
発売元:マイウェイ出版(MYWAY MOOK)
定 価:1000円
アマゾンにジャプ→ http://t.co/Afp6g7qY

渋井哲也、渡部真と、ジャーナリストの村上和巳さんの3人が、これまで東日本大震災で未だに記事に出来なかった様々なルポを約35篇書き下ろしました!
まだ終わっていない震災のなかでの暮らし、それでも明日への歩みが進んでいる。あの時、誰もが見つめた現実を、もう一度、しっかりと受け止めるために、災害の検証、原発問題、生活のなかで起きている問題、学校で暮らす子ども達、未来に向けた復興について、などのテーマに分けて構成されています。
メルマガ仲間の三宅勝久、「ときどき登場」の寺家将太さん、ジャーナリストの長岡義幸さん、記者会見ゲリラの畠山理仁さん、ジャーナリストの粥川準二さんも、寄稿してくました。友人の編集者が、僕らが儲かりもしないのに取材を続けてきたことに支援してくれ、まさに赤字覚悟で頑張って発行してくれました。何とぞ宜しくお願いします。



■9月24日(月)発売!
週刊金曜日』増刊号
〜さようなら原発 路上からの革命

発 行:(株)金曜日
定 価:500円
アマゾンにジャプ→ http://goo.gl/4L0Fd

「さようなら原発」のデモや集会が全国に広がっています。毎週金曜日に行なわれる首相官邸前デモや「7・16」の代々木公園には10万人を超える人々が集まりました。そこで目立つのは、これまでデモや市民運動に参加して来なかった人々の姿。原発事故をきっかけに、いま、「さようなら原発」の運動は、かつてないほど盛り上がっています。「この間の流れを1冊の写真誌として記録に残したい」と『週刊金曜日』が増刊号を発行しました。
全68ページ中36ページがカラー印刷。そのほとんどが、東京や全国の運動を写真で紹介しています。そのほか、哲学者・柄谷行人さんのコラム、フリーランスライターの畠山理仁さん、島田健弘さんなどの記事。そして渡部も、「7・16代々木集会」のレポートや、「20万人? 2万人? デモ参加人数、どっちがホント?」という短いコラムを書いています。また、僕が全体の編集と、一部デザインを担当。制作には、古くからのフリーランス仲間が協力してくれ、いつもの『週刊金曜日』とは一味違ったスタイルで作られています。



■9月20日(木)発売!
ほこ×たて DVDブック
最強ドリルVS最強金属編

発 行:扶桑社
定 価:1575円
アマゾンにジャプ→ http://goo.gl/2Dl1I

フジテレビの対戦型人気番組『ほこ×たて』の名物対決である「絶対に穴の開かない金属 vs どんなものにも穴を開けるドリル」がDVDブックになりました。番組名の由来となっている「矛盾」の逸話を現代におきかえた金属対決。日本の“ものづくり”に情熱とプライドをかけた男達の数々の勝負。その第1戦から第5戦までの舞台裏から勝敗までを、関係者達のインタビューを中心に振り返った1冊。第1選目の動画を収めたDVDが付けられていますが、この本の要は対戦ルポ。テレビでは放送されなかった職人達の思いや戦術の裏話など、この本でしか味わう事のできないルポルタージュに仕上がっています。見ル野栄司によるマンガも収録。渡部が、各対戦のインタビューと執筆を担当しました。



渡部真 わたべ・まこと
1967年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。
[Twitter] @craft_box
[ブログ] CRAFT BOX ブログ「節穴の目」



■発行元:「週刊 石のスープ」編集部

■文責:渋井哲也・西村仁美・
    三宅勝久・渡部真
■編集:渡部真

■サイト: http://weeklysdp.blog.fc2.com/
■メアド: sdp.snmw(あっとまーく)gmail.com
■登録の解除・変更:まぐまぐ: http://www.mag2.com/

category: 渡部記事

tag: 週刊金曜日  増刊号  さようなら原発  路上からの革命 
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